控訴審第3回弁論があり、安全対策等について双方が準備書面などをやりとりしました。
マニュアルが不十分だった点については、前回のときに述べました。再度お読みください。
命を守るためのマニュアルか、提出のためのマニュアルか
控訴審主な争点
見直しをしていないし、中身を知らなかったのですから、
マニュアルを整備し、運用していたとは言えません。作ったとは言えません。
そして、
市・県側は閉廷後の取材に、次回までに唯一生還した先生の書面尋問を請求することを明らかにしました。
震災約1ヶ月後(4月9日)の説明会に出席し、矛盾だらけの証言をした(させれられた)後、ドクターストップで面会ができないと言い続けてきたのは市・県です。
震災直後から3月25日までの間に、市教委は先生の報告を受け、何度か打合せをしていますが、その時のメモ等の資料は廃棄しています。録音もしていません。
それが控訴した途端、市・県側が証言させる、しかも「書面」で…。言語道断です。
嘘の証言をさせ、あとは出てこさせない、そして、控訴すると証言させる。
まるで「便利な道具」です。
これまでの経緯の中で何度もその機会はあったし、本人も公の場で、正直に話したいと思っていた時期もあったはずです。
でも、6年前に閉められた蓋はどんどん重くなっています。
いかに裁判とは言え、市・県の対応は血が通っているとは思えません。
子どもたちが大好きだった先生、最後まで子どもたちと一緒だった先生、
生き残って申し訳なかったなんて思わないでください。生還したことにはきっと意味があります。
やっぱり直接お会いしたいです。
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