全国からたくさんのメッセージが届いています。
前例のない出来事に対して、想いや意見も様々です。地元の人も遠くの人も、大人も子どもも、一人ひとりが自分事として考えることで、あの場所、あの出来事、あの命にどう意味づけをし、伝えていくのかが浮かび上がってくるのだと思います。

2013年11月、会の設立時に寄せられたメッセージ こちら
「小さな命の意味を考える第1集」はメッセージ集です。
※ 様々な立場からの意見は こちら
ドキュメンタリー映画「生きる」に寄せられた感想は こちら
伝承の会コラ1
▼【全国から寄せられたメッセージ(順不同)】
随時更新していきます。基本的に新しいコメントは上部にあります。


人や街を飲み込んでいった記憶を呼び起こす建物を、未来へ遺すのか、跡形もなく壊してしまうのか、決めるときはどちらも強い想いがあったと思います。子どもたちや卒業生、地域にとって思い出の場所でもあり、とても考えさせられました。(北海道)

未来を拓く大川小学校、私も少しでも伝えられたら良いなと思います。(宮城)

震災の恐ろしさや訓練の重要さ、亡くなった方々の思いを次につなげていく大切さを学び、自分が今できることを考える機会となりました。私たちが未来につなげていく架け橋になれればいいなと思いました。(宮城)

友だちや家族に明日必ず会えるわけではない、会えることは奇跡なんだなと気づきました。壁に書いてあった「未来を拓く」を忘れずに、これからの生活を大切にしていきたいと思いました。(宮城)

建物が横に倒れているのを見たり、津波到達点のマークを見たりして、津波の高さは自分が思っている以上で驚きました。話を聞いてすごく心が痛くなったけれど、震災前の学校の話を聞いて、どこにでもある小学校であり、決して可哀想な学校だと決めつけてはいけないと感じました。(埼玉)

帰り道、大川小学校に被害を与えた川を見ました。とても穏やかでした。そんな川が多くの人の命を奪ってしまったことが、どうしようもないことだけど悲しくて涙が出ました。今回、被災地に行って、実際に見ることができ、すごく価値のある経験になりました。(埼玉)

大川小学校は「未来を拓く」場所。壁画の文字が消えずに残っているのを見て、伝えたいなと思いました。(東京)

準備をしていたら救えた命があったということは変わらない事実なので、しっかりと目を向けていかなければならないと思いました。
いつ起こるか分からない災害だからこそ、起きる前に考えないといけないと思います。自分で出来る準備をもう一度家族で見直したいです。(東京)

非常事態が発生したときに、とっさの判断をすることはなかなか難しく、事前に決めておくことの重要性を感じました。(東京)

事前に大川小のことを学習していたが、実際目にしてみると違うものがあった。「過去の事実」として知っておくのでは亡く、ここから何を学ぶのか、自分たちに何ができるのか、何をすべきなのか、しっかり考えてていかなければならないと思った。(東京)

大川小学校を歩くという経験をさせていただき、大きな宿題をいただいたように思います。これから私も自分と向き合って、私は何をどのようにすべきなのかを考えていきたいと思います。 (東京)

家に帰ってから家族にたくさん話して、大川小が未来を拓く場所だということを伝えました。私にできることは限りなく小さなことですが、今回の貴重な経験を生かし、命を大切に生きていこうと思います。 (滋賀)

楽しい記憶と悲しい記憶を分けなくていいというお話が心に残っています。 (滋賀)

大川小学校はたくさんの命が失われた場所ではありますが、命の大切さや、地震・津波の恐ろしさを伝えてくれる大切な場所です。時間が止まっているような、子どもたちがまだ走りまわっているようなそんな場所に立てたこと、そこで防災について学べたことは、私にとってとても貴重な経験になりました。 (愛媛)


震災の被害についてだけ捉えたり、悲しいものとして考えるのではなく「未来を拓く」「防災は希望まで」という言葉が非常に印象に残りました。 (滋賀)

自分の過去との向き合い方、他人に対する考え方を見つめ直すことができました。(長野)

災害を防ぐことはできなくても、備えることはできること。体験したこと、そこから得たことを体験していない人や、次世代に伝え、再び同じことが起こったらどうするのかを考える(=未来をどうするのかを考える)ことが大切であって、大川小学校は私たちにそのことを静かに語りかけている、そんな場だと感じました。(長野)

私はテレビで大川小学校のことについて見たことがありました。だけど今日の話は全然印象が違いました。
これからの学校での訓練でこのことを思い出して、今まで以上に真剣に取り組みたいと思ったのと、これからの生活の中で「おかえり」「ただいま」を大切にしていきたいです。(岐阜)

耳を澄ますと子供達の声が聞こえてくるとおっしゃっていたが、昔の運動会の写真などを見せていただきイメージすると、人や建物が見えてきて自然と涙が出ました。今は何もないこの場所にたくさんの命が、暮らしが、日常があったのだと感じました。
恐怖や焦りの中で最善の選択をすることは難しいため、平時にマニュアルの作成と共有がなされていなければ命を守ることにつながらないと学びました。(宮城)

先生も市教委も第三者検証委員会もすべて「責任」という重圧で身動きがとれなかった感じを受けました。
責任を重んじるなら、これだけのことが起きてしまった以上、様々な立場の人から証言を正確に集め、事実を洗い出し、51分間になぜ動けなかったかを明確にし、今後に生かすことが責任をとることになると思いました。(新潟)

訪問したのは今回で二度目でした。一度目に訪れた際には、個人での訪問だったため、校舎の様子や展示資料を見るだけだったのですが、正直なことを話せば、分かりにくいと感じる点や、もう少し詳しく知りたいと思う部分が多々ありました。(宮城)

震災後の行政の対応は「事なかれ主義」の体質も見え隠れしており、問題含みな点もあると感じたが、もし自らが当時の行政担当者だったとしたら、被災者の気持ちも汲み取った上でどんな対応をとれたのかと、公務員志望の身としては考えさせられた。(宮城)

お話を伺って、私は、災害などの際、生徒たちを護り、生徒の命を救うことが出来る教師になろうと心に誓いました。同時に、教師になった際には、大川小学校で学んだことを生徒や他の教員などに話したいと思います。二度と学校現場でこのような被害を出さないように、我々が頑張ります。 (東京)

小さな声でも自分の声で伝え続けていく事に努め、これからの時代を作っていく子どもたちに繋げていきたいと思いました。 (東京)

テレビなどで何回か大川小学校についてみたことはあったが、現地に行くということは初めてだったため、現地で小学校を見ながら話を聞くことでたくさんのことを感じることができた。 (宮城)

今日のお話を聞いて「想像する」ことの必要性を感じました。
私たちは「知っている」ことが防災だと誤解し、防災に必要な「考える」ということができていないのだと思います。
涙が溢れる中、自分には想像できないと考えていた私は「想像できない」のではなく、「想像していなかった」のです。 (東京)

大川小学校は被害があった所だとばかり認識しており、あの日まで普通の暮らしがあったという当たり前のことに気付けていませんでした。しかし、現地の方々はその土地や人が本当に好きなのだと、お話を伺ってその当り前を再認識し、素直にその土地や人々が素敵だということを伝えていきたいと感じました。
あの日にあったことはもちろん、そこで暮らす方々のことについても考え伝えていきたいと思っています。(東京)

身近な人がいつもいるという環境は当り前のように感じますが、何か一つのことがきっかけとなって消えてしまうことを感じました。当り前の日常を守るためにも身近な人と防災について話し合うことの必要性を実感しました。(東京)

おっしゃっていた「分からないを分かり合う」という言葉がとても素敵だと思いました。考えや意見に本当は優劣はないし、分からないことがあってもいいのですが、なぜか今の世の中は二項対立や優劣をつけたがり、分からないことはよくないという風潮がある気がします。ハッキリとした答えが出ないとしても、考え続けることが大切なのかなと思いました。(愛知)

ずっと頭から「なぜ」が離れなくなりました。
パニックになるのだと思います。日頃からイメージをもち、動けるように思考をめぐらせるのがやはり大切なのかと思います。
大切な命を預かる立場として、改めて身の引き締まる思いです。
伝えてくださった方々の思いを忘れず、活かせる自分であろうと思います。
(愛知)

救ってほしい命、救えなかった命、そこにあるのは私達の意識の問題です。他人事、無関係ではなく、自分事としてとらえることの重要性を感じています。
違う立場の意見を受け止めるというのは、簡単なことではありませんが、自分が考えていること、思っていることは一意見である、一つの声であるという思いで、様々なことに取り組むことが、周りとハーモニーをかもしだせることにつながり、最善の結果になると信じたいです。(愛知)

今回学んだこと、感じた気持ちを次の世代に伝えていくことが「未来を拓く」に繋がると思いました。命に関わる医療従事者として、防災に対する意識が一層高まりました。(宮城)

震災についてはもちろん、生き方についても深く考えることができました。 (山口)

被災された方の想いや希望を知り、目の前の子どもたちに返していきたい。
「もしも」のときにパニックになってしまうことを防ぐのではなく、パニックになってから考えることを防ぐ必要があると知りました。そのため、平時である今、私達教師が大切な生徒を守るために行動し、恐怖に目を向ける必要があると強く感じました。大川小学校の先生方が抱いた無念を無駄にせず、多くの想いを将来へつなげていきます。 (三重)

話を聞いて「私はあなたとちがうから分からない」なんて思えなかった。でも「かわいそう」とも思いたくなかった。私だったら「かわいそう」といわれても、どうしようと迷うから。(和歌山)

大切なことはいつも大切。「おはよう」や「ただいま」という言葉って本当に大切だと思う。(和歌山)

震災は3月11日きっかりに終わったのではなく、今も続いている。そして、今を生きる私たちが伝え続けていく必要があるのだと、当り前かもしれませんが、その真意に気づけました。 (神奈川)

初めて来ました。児童74人の命の重みを知り、報道人として報道し続けることと遺構を残すことの大切さを改めて実感しました。
実際に児童が避難したルートもたどり、当時の対応への疑問も身にしみて分かりました。 (宮城)

人間は、自然の前だとあまりにも無力であり、さからうことはできませんが、被害を防ぐことはできる!ということを学びました。 (山口)

いかに今までの自分が「多分こうなんだろう」と勝手に想像していたかを痛感した。(東京)

僕は防災に対して「いつかくる不安」などという「恐れ」のイメージを持っていましたが,防災は「恐怖」ではなく助かるという「希望」だということ、防災をしなければ恐怖は恐怖のままだということが心に残りました。 (宮城)

説明を伺い、ここで起きたことがとてもよく理解できました。裏山に実際に登ってみると、何故ここに逃げなかったのか?の疑問がますます強くなりました。
伝承館の展示には「なぜ?」に対するものが決定的に欠けていると思いました。伝承する意味はそこにあると思います。 (東京)


自然災害は我々の意志に反して起こる事だから決して災害を甘く見てはいけないと考える事が出来ました。
私は、当時小学1年生でした。私と同い年の子が、たくさんいたと思います。自分と置き換え考えてみたら、たくさん泣いて身動きが取れていないと思います。当時は、大人に頼ることしかできなかったけど今は、高校3年生になりました。大人ほど知識や力は、ありません。しかし、自然災害のために準備をすることはできると思いました。この先一人一人が、防災について学び、理解することで、たくさんの命が救われるのではないかと思いました。 (神奈川)


大川小のことはニュースなどで見たことがありましたが、なんで逃げられなかったんだろうと思うばかりで、自分や大切な人の防災について結び付けていませんでした。 (神奈川)

コロナで普段の生活がなくなったとしても、楽しい旅行がなくなったとしても、私は大切な人が生きているのなら何も言うことはないと思った。過去はもうやり直せないけれど、未来は今の自分が決めることができる。だから、何をするべきか、後悔のない楽しい未来を得るために行動したいと思う。 (三重)

私が生きている間に、きっと南海トラフが来ると思います。私はその時に、輝く命を思うことのできる人でありたいと思いました。 (三重)

報道では「あの日から」のことばかり強調されがちです。しかし「あの日まで」に作られた思い出はとても大切なものだと思います。その思い出も私たちは伝えていく使命があると感じました。 (兵庫)

「大川小学校を『未来を拓く場所』に」という言葉を聞き、衝撃を受け、驚きを隠せませんでした。
過去の後悔にしっかり向き合うことで、二度と同じ過ちを繰り返さないように、未来の災害に備えにつながるのではないでしょうか。 (兵庫)

「言葉はいらないのかもしれない」この言葉がとても印象に残っています。校舎や校庭が語りかけているから感じ取ってほしいという遠いメッセージが込められているのだと考えました。 (兵庫)

将来先生になりたいという思いがさらに強くなりました。
「ここには子どもたちの日常があった。誰も死にたくなんてなかった」というお話をいただき、子どもたちを救いたいと思いました。 (兵庫)

僕は今まで震災の被害を受けた建物を遺すことは重要だと思っていましたが、その後の管理のことまでは考えていませんでした。後世により詳細に伝えるためには必要なことです。そして、それをするのは私達です。 (栃木)

大川小学校には、今も昔も変わらないところがある。それは「未来を拓く」場所であるということだ。私は今回見たことを忘れず、防災について意識できるようになりたい。「未来を拓く」人になるために。 (栃木)

「伝え続けていく大切さ」「命を守る報道」を深く考え直す機会となりました。(東京)

これから学校で避難訓練を行うときは、自分の家族、大切な人も一緒に避難しているイメージを持ちながら参加したいと思います。 (宮城)

3.11について、知っているようで知らなかったことが多くありました。
おそろしい気持ちと、未来に向かっていく気持ちのどちらもよく分かりました。 (愛知)

起きてからどうしようではなく、起きることをどれだけ想定して準備しておくかが、とても大切だなと感じました。 (愛知)

今、私が担任しているのは5年生です。「知ってる?」と聞いても「生まれたばかりだから知らない」と答えます。ぜひぜひこのような生の言葉、感情を感じてほしいです。テレビでは報道されない事実を知ってもらいたいです。
「行ってきます」と家を出たなら、「ただいま」と元気な声で帰りなさいとすぐにでも伝えたいと思います。 (愛知)

3月11日にだけ考えるのではなく、日常で防災を意識したいと思います。未来は変えられる。 (宮城)

避難する子どもや先生の姿が見え、思わずまばたきをしてしまうほどでした。 (宮城)

実際に大川小学校を訪問してお話を聞いたことで、机上で勉強していた時よりもさらに深く心に刻むことができたと実感している。
「負の歴史を残したくない」という声もあると聞いたが、私自身はこの場所は決して負ではないと考える。ここに来る多くの人が何かを感じ、学び、未来を拓くために小さなことも含め行動を起こしているのではないかと思う。さらに何十年も経ったときに震災を知らない人にとっても価値あるものになるだろうことを考えると、行政も一丸となって保存のための行動をとってほしい。 (愛媛)

「なぜ」という言葉が何回も出てきました。単純な疑問ですが、これをひも解いていくことで次に同じようなことを繰り返さないヒントになるのだと思います。(愛媛)



いのちはちいさいし、いのちはひとつしかないとわかりました。
しにたくなくても、だいすきでもひとはしぬとしりました。
つなみはいろんなものをのみこみました。
じゆうけんきゅうにしてきづきました。
ああ、わたしはいきているんだ。このまちで、このちきゅうで。
わたしはきょうもいきているときづきました。 (北海道)

僕は今まで,東日本大震災は自分たちの嫌な思い出,記憶という捉え方をしていました。しかし,お話を聞き,災害の記憶を伝えていくことで,1人でも多くの人の命を守ることができるということを学びました。 (宮城)

もし、地震が来たときには「焦らず、冷静に行動する」ということは、正直私には絶対できないと思っています。だから、少しでも多くの命が助かり、自分も助かるように、避難訓練を真剣に行い、もしもの時に少しでも生かせるようにしたいです。 (新潟)

今回の話を〝今の私〟にもつなげていきたいです。「今」を生きる〝私〟は幸せ者だと思い、どんな辛いことでも乗り越えていきたいです。 (新潟)

現場でガイドいただくことで、やはり自分事として正面から考えることができました。「正しさ」とは何か、「判断決断」は何か考えさせられました。岩手でこの災害をどう伝え、どう学びに生かしていくかにとりくんでいます。共に考えさせていただきたいです。釜石や大槌などと共に、この地をどう生かしていけるか。生きている者として、あの時失われた命への責任を感じます。(岩手)

大川小がすてきな学校であったことがよくわかりました。(壁画がそれを語っていると思います)。助かった命であったと確信しました。たくさん胸にひびく言葉がありましたが、あえておっしゃった、(南海トラフ地震で)32万の死ぬ未来は変えられるということばを、今日見たことうかがった話といっしょに、友人や家族に伝えたいと思います。(イギリス)

久しぶりに大川小学校に来させてもらって、改めて「なぜ今教育の仕事をしているのか?ということを考える時間になりました。「大川小は悲しかった」ということで終わらせてしまう場所ではなく、「未来をひらくとはどういうことなのか?」ということを考えて、アクションに移していくことが大事だと思うので、そのアクションをおこす1人として自分を今後も生きていたいと思いました。 (島根)

話し方がとても聞きやすくて、マイクも使用されていたので、少し離れていても聞き取りやすかったです。やはりこういう震災遺構では語り部の方がいることで何倍も印象が違うことを感じました。 (宮城)

私は二年前にも大川小学校を訪問しました。ねじれるように崩壊した渡り廊下を鮮明に覚えています。この場所で何人もの方々が命を失われたのだと、その時初めて本当に分かりました。地面から這うように襲ってきた恐怖を絶対に忘れないようにしようと強く思いました。
今日のお話の中で「まん中は命」という言葉が特に印象的でした。今、この社会は命が一番大切であるということを時々忘れているように感じます。
私は、これから少しでも多くの人に命が一番大切だということを思い出させるような行動をしていきます。
また、もう一度大切な人と大川小学校に行きます。 (東京)

自分の命はもちろん、周りの人の大切な命、毎日の日常の中に突然やってくるかもしれないその時、どう判断して行動するかで未来がつくられているということ。
頭の中ではなんとなく考えているものを、もっと具体化していく重要さを感じ、その日のうちに家族と話し合いをしました。 (東京)

どれほどの後悔があったのか、どれほどの悲しみを背負っているのか。それでも尚「救いたい命」に向き合っている、そんな人々がいることを私たちは心に刻まなければならないと感じました。 (栃木)

震災を経験していないということから、自分が震災について口にしていいのだろうかという葛藤を常に持ち続けています。自分は、なぜ震災に関わろうとするのだろうとずっと疑問です。
しかし、そのモヤモヤを抱えながらも、歩みを止めないことが大事であると気づけたような気がします。 (宮城)

震災遺構である前に、私が通っていた小学校と何ら変わりない普通の小学校だったことに気付いた。
災害が特別な誰かを襲うのではなく、普通の私たちの日常を突然奪ってしまうことを改めて教わった。「誰にでも」起こりうる災害について考えるときに、その登場人物を「誰か」に設定するのではなく、自分や自分の大切な人について考えることを忘れてはいけないと学んだ。
災害はどんな場所でも、誰の身にも起こりうる。大川小は未来を拓く場所。今を生きる私たちができることは、過去の事実を伝え、未来に活かすことだ。子どもたちの「ただいま」が、今日も当り前に響き渡るように。そんなハッピーエンドを想像し、実現することを、今日、この大川小から未来の自分に伝えたい。 (宮城)

「逃げたい」と思っても逃げることができなかった組織・体制があったとしたら、これは他人事じゃないと思いました。 (福岡)

自分が担任している子たちが物心つく前に起きた震災。避難訓練で例に挙げてもピンとこないし、海に面していないので津波の怖さも分からない。「知らない」「分からない」が行動・判断を鈍らせることは分かっているのに、教師がそれを伝え切れていないと思っている。
大川小が震災遺構として残される意義は「風化させない」ことであるし、それを東北で起きたことではなく、いつ誰の身に起きてもおかしくないことを子供たちに日常的に伝えていかなければならないと再認識した。 (福岡)

目で見て、耳で聞き、体で感じることで、東日本大震災について一層理解をすることができました。亡くなってしまった子供たちの分まで、私たちが力強く、前向きに生きることを約束します。そして、私たちがよりよい未来を築いていくことを誓います。 (茨城)

学校規模は私の所属校とほぼ同じで、けっして他人事として聞くことは出来なかった。
子供たちの輝く命とその未来を思うことは、命を救う判断力と行動力の源となることが判った。 (和歌山)

毎日がダルいと思わずに、今日にありがとうを伝えられるような人間になりたい。「いつか」じゃなく「今」やるようにする。 (広島)

防げたかもしれないことが、防げなかったとしたら、悔しくて悲しいことです。そうならないように対策をしたり、家族とも話し合いたいです。
また、自分の大切な人にふだんからお礼を言ったり、気持ちを伝えたいと思います。 (広島)

大川小の子どもたちが残してくれた「未来を拓く」という言葉を胸に、これからの未来のための防災について改めて考えていきたい。 (宮城)


来年から「先生」という立場で子どもたちの命を守らなければなりません。また、震災を知らない子どもへ、どう震災を伝えるか、考えさせるか、難しいと思います。しかし、防災は恐怖だけでは終わらず、ハッピーエンドだということを忘れずに伝えたいです。 (宮城)

過去を語ることや、当り前の日常を大切にすることも防災に含まれるということに気づかされた。 (宮城)

大きな集団の避難行動の判断は難しいことであると感じた。正確な情報がない中、大人数の行動を決めないといけない。災害が起きてから判断するのでは遅いと感じた。 (福岡)

実際に東日本大震災のような災害が起きてしまった際に、私は咄嗟に子供たちを守れるのだろうかと不安になった。しかし、非常事態にまともな判断をすることは難しいため、備えておくことが大切であるという話から、登場人物まで明確に思い浮かべて、その人と一緒に助かるような想定を日頃からしっかりしておこうと考えた。 (宮城)

今日のような話を聞いて実行すれば、災害時に多くの人々の命が救われると思います。(東京)

「思い浮かべること、想像することはできます」という言葉で、私は思い浮かべました。8mもの津波が自分を呑み込むところを。
「こんなこと本当にある?」「自分がこんなことになる?」と感じてしまいました。しかし、それは本当にあり、約2万人の命を奪いました。
・・・もっと理解を深め、3.11をもっと知りたいです。 (東京)


大人になったら次の世代の人たちに伝えていきたいなと思った。そして、僕が今生きているということを幸せに思いたい。最後に、帰ったら「ただいま」を毎日言おうと思った。 (東京)

当時の状況を「悲惨」「かわいそう」という言葉で終わらせるのではなく、そこから何を学ぶのかを考えるきっかけになりました。 (東京)

僕にとって東日本大震災は記憶がなく、ある意味歴史上にあった出来事みたいに思っていた。幼稚園や小学校の頃は触れる機会もなかった。
今日、津波がどの高さまで到達したのか、どれだけの命が奪われたのかなど、今まで触れることのなかったこと、そして過去は未来への積み重ねであることを学んだ。
3.11を風化させず、今日新たに得たことを自分の心にしっかり刻んで、心だけじゃなく、行動でも示していけるようになろうと思った。 (東京)

ニュースなどでしか3.11についての様子を見聞きすることがありませんでした。だから、実際にはどんな状況で、どんなことが起こっていたのかを初めて知り、とても驚きました。そして、絶対に忘れてはいけないと思いました。
可哀想、といった負のイメージばかり持っていました。でも今回参加したことで、未来を拓く、という希望的イメージに変わっていきました。(秋田)

私もとっさに正しい判断をすることができなかったなと思うことが多いです。「逃げるということ」「どこに逃げるかということ」を事前に決めておくことの重要さが身にしみました。 (福島)

大川小学校の出来事を自分事ととらえ、防災にとどまらず、なにを学び伝えていくべきか、考えていかなければならないと感じました。(群馬)

東日本大震災による被災地を「被災地」としてしか見ていなかったことに気づかされた。震災以前に、そこには私たちと同じような暮らしがあり、社会があったということをあまり考えたことがなかった。震災当時、小学校4年生だった私がテレビで地震の情報を見ている中で、同じ世代の子どもたちの命が津波によって失われたと考えると言葉にならない。
震災の当時何がおこったのかを正確に後世に伝えるためには、遺構の保存は重要であると考える。津波があの日奪ったものを明確にするためにも震災以降のメンテナンスは不可欠であると考える。(茨城)

余りに悲惨な出来事に、忘れたいという思いもありましたが、それではいけないということに気が付きました。(栃木)

今、知ること、行動することで未来を変えることが出来るという言葉がとても響きました。(愛知)

防災のみならず、人生においてとても大切なことを教えていただいたように思います。
校舎の崩れた大川小学校に「未来を拓く」という言葉の書かれた壁が残っていることを今でも忘れられません。被災した方々を思いやるだけではなく、明るい未来をつくるために、その経験を活かすべきだと語りかけられているような気がしました。 (東京)

自分たちの今までの生活を改めて考え直しました。あの3月11日は、私はまだ幼く、当時どのようなことが起きていたのか、どんなニュースが流れていたか、全くといっていいほど、覚えていません。ですが、だからこそ、語り続けていかなくてはならないと思いました。(北海道)

「いつもの日々が永遠に続くとは限らない!」ということを再確認できました。
小学校の校庭に子どもたちが見えた気がして凄く心にきました。僕は、毎年3月11日のあの時間に黙祷をしてきたのでこれからも続け、あの瞬間を忘れないようにしようと思いました。 (北海道)

自分の中で、災害と被災地に対する向き合い方がガラリと変わりました。
「避難訓練は本気でやる」というお話が、とても印象に残っています。いつ、何があってもいいように、日頃から備えていこうと思います。 (埼玉)

はじめからパニックになることを想定し、どんな時、どう行動するかを日常的に話合い、決めておこうと心に決めました。 (東京)

大人社会の見識を変えていくことですね。もっと広く考えが持てる人生の先輩を目指したいです。  (長野)

「どんな素晴らしい教訓が生まれたとしても、あの災害はなかった方がよかった。肯定はできないけど、無駄にしない、血肉にする」という言葉は非常に印象的でした。
スタディツアーから2年経って、防災資格取得を目指しているのも、私なりに「血肉」にする方法を模索している過程なのだと思います。これからもその方法を探していこう、そしてその原点、支柱と呼べるものには、大川小を置いていよう、と思いを新たにしました。(広島)


当時私は幼稚園の年中で、この災害の重大さに気づけていませんでした。
なぜ、危険だと少し考えれば分かるようなことをして、多くの犠牲を出してしまったのか、いや自分がもし同じ状況に置かれた場合、考えることなんてできるだろうか・・・自問自答し、グループの人とも話しました。
結果、これに答えなどないと感じました。津波という極限状況下にいた最中で、適切な判断などできようはずがない、それを無責任に責めることは出来ない・・・。
だとしても生きていてほしかった。生き残るための行動をしてほしかった。このような矛盾ともいえる考えが頭を巡りました。
私は当事者ではないので、このようなことを言えるものではないと分かっています。しかし、このような悲しい出来事が確かにあったのだということを知って感じることは、今を生きる者の義務であるかのように感じました。
絶対に忘れません。    (東京)

家に帰ったとき、大きな声で「ただいま」と言ったら、家族が「おかえり」と言ってくれて「今日はね・・・」と伝えられることが本当に大切なんだと改めて感じました。
素直に「ありがとう」と言えるようにしていきたいです。 (静岡)

思いがダイレクトに伝わってきました。辛く悲しいできごとをどう感じ、どう活かしていくか、我々教員に求められる使命であると考えました。生徒の今,そして未来を守ることのできる学校、教員でありたいと強く思いました。(宮城)

津波から逃げているときの子供達は何を考えてたのだろうっていう問いかけにすごく考えさせられました。たくさんの人がつらい思いをして終わりじゃなくてこれからにつなげることが大切だと思います。 (神奈川)

お話を聞きながら校舎の様子を見ていると、自分が通っていた学校となんら変わりはなくて、今は悲しい場所といわれるようになってしまったその学校が、当時の生徒の皆さんからしたら当たり前の景色で、その日も当たり前に笑顔で歩いていたんだろうなと感じました。
その学校が私の通っていた学校だったかもしれないし、そこで歩いていたのは私だったかもしれない。今まで見てきたどんな映像よりも、災害を自分事にとらえられたように思います。
今は災害前であって、未来を拓くことのできるのは私達。他人事にしない。今日聞いたすべての言葉が今後の自分の命を輝かせて、「ただいま」を守るための力になると思います。  (神奈川)

私にできることは、今回の貴重なお話をまわりに伝えることです。とてもシンプルに見えますが、実は一番大切で、リアルに伝えようとすると一番難しいことなのかもしれません。でも、未来を開く一員として、機会があるごとに身近な人から発信していこうと思いました。  (東京)

お話を受け、改めて生徒の命を守る覚悟と責任を身につけてから教員になりたいと強く思いました。また、いつも後回しにしていたので、家の近くの防災マップを見ていざという時に即判断して行動できるように家族と共有をしようと思いました。  (東京)

栃木県の中学生の作品


大川小学校は、校舎の構造が印象的で、中庭の桜の木の下で昼食を食べている生徒の写真を見ると、きっと大川小学校は素敵な学校だったのだろうと感じましたし、今でも大川小学校は人々の心の中にあり続けていると思います。
私たちは今生きているので、過去を未来に活かしていくことができます。そのために大川小学校は残っているし、お話してくださったと思っています。(東京)

防災は絶望するためにするのではなく、希望のためにするという言葉が心に残った。防災というとつらい体験談を聞いたり、暗く悲しい話を聞いたりになるが、未来が暗く悲しいものにならないように、未来が希望に溢れるようにするためのものだときいて、本当にその通りだと思った。
自分が働いている学校の生徒たちの顔を思い浮かべて、自分も含めこの生徒たちの笑顔をどのようにしたら守れるかということを考え、防災を自分事として捉えながら学び生活していきたい。 (兵庫)

お話を聞いていると、津波が来るまではふつうの学校だったんだな、もし逃げていればよかったんじゃないかな、救える命があったんだな…、とても苦しい気持ちになりました。
悲しい話で終わらず、このことを周りの人に話せば、誰かが助かるかもしれない、そんな気がしました。
大川小学校は未来を拓く所なんだよと教えていただきました。この言葉は一生忘れないと思います。  (山形)

「よく見て」と言われてグラウンドを見ると、大川小の子たちが見えました。楽しそうに運動会をしていました。「がんばれ!」という声も聞こえてきました。あれは…リレーです!また機会があれば行きたいです。次はどんなことをしてるかな?   (山形)

数年前、娘を連れ、大川小を訪問いたしました。報道等で何度も目にしていた建物でしたが、ガランとした空間が圧倒的な説得力をもって津波の恐ろしさを物語っていました。
あの時、子ども達はどんなに怖かったろう、先生方はどれだけくやしかったろう、保護者の気持ちは…と改めて考え、押しつぶされそうになりました。
それでも校庭に立っていると、大川小の子ども達が楽しそうに活動する様子が容易に想像できました。帰り際、学校横の駐車場の土を手にとり「海の匂いがする」と言った娘の言葉に「ハッ」として私も匂いを。
自然の前にちっぽけな自分を改めて感じたことを覚えています。 (東京)

実際に⾜を運んでみると、10 年前そこには確かに⼦供たちがいて楽しい⼩学校⽣活を送っていたのだということを想像することができた。また、⼭に実際に上ってみて、こんなにも近くに、命を救ってくれる⼭があったのかということが衝撃的だった。
多く⼦供たちの遺体が泥だらけのランドセルのそばに並んでいたという話はとてもリアルで悲しくて⼼が⾟くなってしまったが、私たちがしなければいけないことはその事実を知り、学校保健に⽣かすことであると思う。
正直、今⽇⼤川⼩学校を訪れるまで、多くの⼈の命が失われた場所に⾏くことが怖くて気が重かった。しかし、今⽇訪問してみて、悲しさだけがある場所ではなく未来を拓く場所であるということを伝えていただき、⽣き残らせてもらった⾃分の命の使い⽅を考えていかなければいけないと思った。  (宮城)

「未来を拓く」という⼤川⼩学校の校歌が前からあって今も残っていることに感動しました。⼤川⼩学校に受け継がれている未来への考え⽅がこの震災遺構として残すという決定につながっているのかなと思いました。
今回初めて震災遺構の⾒学を⾏って語り部活動を⾏っている⽅のお話を聞いて、話を聞かないと分からないことがあると思いました。本当にお話をきけて良かったと思います。 (宮城)
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10 年前の災害、過去のことと思っていましたが、過去のことではなく今現在も進行していることなのだと思い知らされました。自分には関係ない、私は大丈夫そんな気持ちがありました。もしもはいつもの中に。ある日突然、日常が非日常になる。その時、どうするべきなのかを普段の生活の中で考え準備しておく事が大切だと感じました。
今までは、どこか他人事でしたが、いつ自分がその立場になっても大丈夫なように、今日家に帰ったら家族で話し合い出来る事から、やっていきたいと思いました。 (栃木)


「災害は人間の都合ではなく、地球の都合でやって来る」と言われ、とても当たり前のことだけど、その当たり前を忘れてしまっていたと思いました。これからは、今日という日がとても大切な一日なのだとしっかり自分の中で思いながら過ごしていきます。 (神奈川)

自分たちは被害を受けていないというのもありどこかうわの空と言いますか、本当にこんなことが、あったという実感のようなものが全くなかったのですが、今回初めて、実際に起こったことなんだというのをすごく感じ、心の奥の方まで響いてきました。 (神奈川)

メディアから受け取った印象を鵜吞みにするのはよくないのだと思いました。物事を⼀つの⾯からとらえるのではなく、様々な⾯から考えていくことの必要性を感じました。 (宮城)

大川小の子供達と我が子が重なり、この命を守らないと、と強く思いました。そして、帰ってから何とも言えない気持ちになって我が子を抱きしめて泣けてきました。
まずは、平凡に感じる当り前に思えるような毎日を感謝して、大切に生きたいと思います。 (和歌山)

想定内か想定外かは誰にも分かりません。「大丈夫」と思っていることが一番危険だと思いました。(静岡)

特別な場所ではなく、他と何ら変わりのない小学校だったという話を聞いて、大川小学校の被害をどこか他人事のように考えていた自分に気がつきました。(静岡)

今まで聞いたことがない東日本大震災の現場の様子を知り、息を飲みました。今を後悔なく生きることはとても難しいことだと私は思います。それでも、未来のためにできる限りのことをしたいとお話をお聞きして思いました。(静岡)

これまで僕は、この苦い記憶を一刻も早く忘れるべきだと思っていました。しかも東日本大震災のことをどこか他人事のように捉えていました。しかし、それは違うと気づきました。伝えることこそが大規模災害の被害を最小限にする最善策であると心の底から思いました。震災を「苦い記憶」から「学び」へと、そして「希望」へと変えていきたいと思います。 (静岡)

新しく引っ越し、逃げる道、場所を決めていませんでした。そして、家に災害に備えての物がありません。改めて家族と話をしたいです。しっかり備えて使わない日が続くように願います。そして家に帰ったら大きな声で「ただいま」と言えるようにしたいです。
将来のことを考えて不安になったり、つらくなったりしても、これは生きているからこそ味わえるのだと気づきました。このもらった命をしっかりと守って、今日のお話を周囲の人にも伝えたいと思います。 (栃木)

私が印象に残った言葉は「恐ろしいのは津波じゃない、逃げられない私たち」です。大川小の事例は多くの命が失われた場所、その他の場所では逃げることで助かった場所もある、その差は何かを考えることが必要だとこの言葉を聞いて気づかされました。 (宮城)

命の大切さを改めて感じた。今、私は部活のことで悩んでいるが、そうやってゆっくりと考えて行動できることも幸せで、今を大切にしなければいけないんだと感じる。周りにみんながいること、周りに家族がいることも幸せだと思った。ありがとうを毎日、毎日感じながら生きていかなければいけないと思う。
一歩一歩ゆっくりと壁を越えて自分と向き合おう。 (東京)

東日本大震災から9年が経ちましたが、過去の出来事になってはいけないと思います。私たち教師を目指す者や学校現場の職員は、先頭に立ち、この震災について伝え、子どもたちの防災への意識づけを行っていかなければいけないと思います。私も今後、大学でのゼミなどで話し合いを行い、答えを見つけていきたいと思います。 (岐阜)

生きたかった今日、生きたくても生きられなかった今日。私は今日、その日を過ごしている。それは当たり前ではないということ。いつ何が起こるか分からないからこそ、その前の準備、実際起きてしまった時の判断・行動がどれほど大切か、今回改めて知ることができました。  (宮城)

今回学んだことは、家族のコミュニケーションを大事にすること、起こった事実は曖昧にせず、伝えていくということです。(宮城)

大川小を見て、最初に感じたのが「ここはどこ?」という思いでした。事前学習で見た写真と、どうしても重ねることができず、その風景に言葉が出なくなりました。8年経った今も捜索を続ける重機が目に焼き付いています。
現地に行かなければ分らないものがある、そう初めて実感しました。山だってすぐ近くにあって、校庭で子どもたちはどんな気持ちでそれを眺めていたのかと思うと言葉では表せない感情でいっぱいになりました。私にははっきりとした当時の記憶はなく、震災の恐ろしさなんて知った気になっているだけなのでしょうが、判断の大切さだけはしっかりと学びました。(栃木)

起こってしまったことは元には戻せませんが、未来に起こるかもしれない被害は少なくすることができます。私は震災について知らない人に今日のお話を伝えていこうと思います。(栃木)

後悔しないよう常に自分の芯をしっかり持ち続けようと思いました。大川小学校の子どもたちに胸を張れるような人生を歩んでいきたいです。(長野)

根本にあるのは子どもの大切な輝かしい命だと気づきました。先生になったとき私が一番守るべき、守ってあげるのは子どもたちの命で、それがどうしたら守ってあげられるかを考えるのが大切だと思いました。
今まで避難訓練をやってきましたが、校庭に出るタイムを早くすればいいって思ってました。先生たちも、タイムのことばかりで、早くなったら褒められて、でも私が先生になったとき子どもたちに伝えなければならいないのは命の大切さ、命を守ること、それが大事だと思いました。命の大切さに気づけば自然と避難訓練の意識も上がると思うし、先生だけでなく子どもたちも防災について考えれる機会になると思いました。東日本大震災について自分も知ってるようで、知らないことばかりで私ももっといろんな人に知ってもらいたいと思いました。
今日の話を聞くか聞かないかで、これからの考え方も生き方も変わると思います。私が先生になったら、今日の話をぜひ子どもたちにしてあげたいと思いました。 (岐阜)
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話を聞いて、被災地は日本全国だということがわかりました。 (神奈川)

今日、9年経つ日にやっと宮城へ来ることができました。「防災はハッピーエンドでなくてはならない」という言葉、本当にそうだなと思いました。起きてしまったことからしっかり学び、次へとつなげる。命が消えてしまってからではもう取り返しがつかないのだから。
4月から教師になります。私一人では微力ですが、防災の大切さを伝えられるように頑張りたいです。(岐阜)

昨年、新任研修で大川小学校でのお話を聞かせていただきました。
兵庫に帰って二学期になり、宮城に行ってきた自分ができることを考えたとき、東日本大震災のことや、家族が元気でいることの大切さについて子どもたちと考えたいと思い、授業をすることにしました。
子どもたちにとって少し難しい内容であったかもしれませんが、多くの子が友だちと話しながら考えることができていたと思います。「一日一日を大切に生きようと思った」という感想が心に残りました。(兵庫)

私が震災で失ったものはほとんどない。当時ラジオを聞いていて、死者が何名、行方不明者が何名と言われても当時の私にはとても多い人数がいるとざっくりとしか認識していなかった。あくまで数字としてしかとらえていなかったからだと考える。
電気が復旧してテレビを見た。広い海の上で家や車など多くのものが混ざった水が押したり引いたりしていた。映像や写真を何度見ても何が何だか分からなかった。今までずっとそうだった。
そして、私はたいして被災していないのに、津波の映像を見るのが嫌で、その報道をされるのも、被災地と呼ばれることもいやだった。見せられたら黙って見ていたが、どうして自分は見たくないのか分からなかった。多くのことがなぜだか分からないままだった。

今回の事前学習でも、様々な数字が出ていた。自分何人分の高さ。50m走から考えて何秒で到達するところ。具体的に考えていったものの、それがどういう意味なのか、分かったような気になって結局分かっていなかった。今日現地でお話を聞いて、私の多くの疑問が解決し、新しく知ることもできた。
天井についた津波の跡、根元から折れた渡り廊下の柱、残された名前のシール、子どもたちが描いたステージの壁画。私は今日まで大川小学校に行ったことはないし、知っている友人だっていないけれど、子どもたちの姿が浮かんできて「そこには直前まで日常があった」ということを強く感じた。
私が今回一番心に残ったのは、「自分がなぜ震災関連の何事も分からないまま、なんとなく嫌な気持ちを感じているのか」という疑問に対する答えである。
私は先ほど「多くのことが分からないままだった」と書いた。分からないままだったのではなく、考えようと、向き合おうとしていなかった。最後のお話を聞いてこのことに気づいてから、私はわだかまりが消えてとてもすっきりした気持ちになり、恥ずかしく、悔しく、ショックだった。救急医療・災害医療に携わりたいなどと口では言い、活動に参加しながらも、本質的な部分は全く見ることができていなかった。震災を受け止め、向き合った「つもりでいた」に過ぎなかった。

私が今回養護教諭の目線で考えたことは、養護教諭、つまり学校に勤めるものは、子どもたちの命を預かっているということ。命を預かるとはどういうことか。命とは何か。中でも強く考えさせられたのは「学校とはどんな場所であるべきか」ということである。
見学に行く前の私が聞かれたら「子どもたちが安心安全に遊び成長できる場所」と答えたと思う。今の私からするとこれは不十分である。「いつ何が起きても安心安全」な場所でなければならない。想定外のことはこれからもたくさん起きるだろう。しかし、その想定外の中で子どもたちの安全を第一に考え、さらに不安定になった心にも寄り添えるくらいの余裕を持たなければいけない。また、学校の周りの安全な場所は教員よりも児童生徒の方が詳しい可能性がある。本当に安全を確保するために、児童生徒の力も必要であると考えた。
学校に携わるすべての人が、みんなで「命を守ること」について考えるべきだと思う。(宮城)

大川小学校のことはニュースでよく見ていたので、あの日に何があったかはある程度知っているつもりでした。ですが、現場でお話を聞き、気づかされることが沢山ありました。生きたいと願っても叶わなかった方々がいる事実を目の当たりにし、自分の生の意味や、周りの大切な人を守るために何をすべきかを、あの日以来考えています。(栃木)

大川小学校のお話を聞くのは今回で3度目となりました。どれだけ回を重ねても、感じる胸の痛みは変わりません。それは震災当時、私が小学5年生であったからかもしれません。ここに自分がいたかもしれない。小3の妹がいたかもしれない。自分事として考えること、昨年「防災士」の資格をとりました。今年はこれを実際の行動へつなげていきます。また、来年も伺いたいと思います。(石川)

「防災は助かるためのもの」「命を想い判断をする、行動をする」という言葉、忘れません。将来、自分一人ではなく家族や町の人、仲間を守る立場になったときには、まずこの言葉を思い出して、何から行動ができるか考えようと思います。また、私の周りには、大川小学校について語り部さんからお話を聞いたことがある人は少ないため、まず今できることとして家族や友人に今回のお話で自分が感じたこと、そして、「未来を拓く」小学校であるということを伝えようと思っています。
この状況が治まりましたら、大川小学校を訪れ、自分の眼と足で感じることができたらと思います。(石川)

(4年前に)大川小学校を訪れた時のことは、今でも鮮明に覚えています。あの日のまま時が止まり、ひどく冷たい場所なのに、子どもたちの息づかいが残り、少しだけ温かくも感じました。
大川小が今でも私の記憶に残り続け、建物がただの風景ではなく、震災を如実に伝える存在として残っていることは語り部の方々の言葉があるからこそだと思っています。どんな恐ろしい爪痕が残る「物」でも、それを伝える人と受け取る人の意識抜きには、意味がなくなってしまうのでは、と思います。
この4年間で、幾度となく「想定外」という言葉を目にしました。あと何回、想定外を重ねれば人は想定内として対処できるようになるのだろうかと思いつつ、しかし、災害において想定内はあり得ないとも思います。そんな私たちが唯一頼ることができるのが災害の前例です。
震災と子どもたちに真摯に向き合う姿に励まされています。 (栃木)

看護師を志す学生たちにとって、必ずいつか向き合うことになるのが「生きる」ということです。自分自身だったら・・・。私たちにできることはなにか・・・。自然の中に生かされている者として、限りある命を生きる者として、それぞれに何かを感じられることができ、目標に沿った、またはそれ以上の研修にすることができたと考えています。(埼玉)

「大切なものは常に見えにくい」心に残った言葉です。関わってくれている全ての人に感謝し、精一杯生きていきます。(長野)

子どもたちが大きな津波を目の前にしてどれほどの恐怖の中で亡くなっていったのか。我が子を自分の手で掘り起こした親の気持ち。恐ろしい夢のようなことが現実に起こっていたことを信じたくありません。しかし、実際には老若男女問わず亡くなった方が大勢いて、救えるはずだった命も多くあったことを知りました。
今回、大川小学校での出来事をお伺いできたことは、私が今後生きていくうえでも大きな学びとなりました。教職を目指す身としても、常に心に留め、小さな命をみんなで守れる教員になりたいです。 (長野)

当時の子どもたちの不安・教師の方々が残した後悔・生き延びて今を過ごしている方々の気持ちなど、多くの方の感情に思いを馳せる一日となりました。(長野)

大川小学校を訪れるということで、初めて研修旅行に参加しました。実際にその場に立ち、見て、話を聞き、裏山を歩くと、報道では伝わらなかった様々なことを知ることができました。震災から8年半。命の重さを改めて心した日になりました。(宮城)

私が通った中学校の玄関付近にも「世界全体が幸福にならないうちは、個人の幸福はありえない」という宮沢賢治の言葉が飾られており、毎日のように目にしていた言葉だった。そんな日常がここにもあったのだと思うと、大川小学校の出来事を他人事には思えなかった。語り部の方が「今では悲惨でかわいそうな場所と言われるけれど、ここには普通の日常があったことを忘れないでほしい」と話されていたが、壁画と私の学校生活の一場面が重なった気がして、それを強く胸に刻めたように感じる。(岩手)

すぐに避難させなかった先生方だけに問題があったのではないということが分かった。震災時の対応についてのマニュアルに問題があったのだ。きちんとマニュアルがあれば判断も迷わずにすぐに子どもたちを避難させることができたはずである。
災害は結果論になってしまうのだと思った。結果が良ければマニュアル通りでなくても賞賛されるが、悪ければ叩かれる。よって、これから必要なことは、念には念を入れて避難場所や避難経路を熟慮することだ。子どもたちは先生の言うことを聞くように指導されているため、最後の頼りになるのは先生方である。
そもそも学校は子どもたちに生きる力を教える場所である。災害が起きたときこそ、それを教える格好の場であると思うのだ。
災害時の対応について、他の場所でも再検討すべきなのと、先生方も臨機応変な対応が出来るように準備しておく必要がある。その時々の最良な判断をよく考え、ときには子どもたちの意見に耳を傾ける必要がある。(宮城)

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津波による被害は水だけではなく、水が運んでくる家屋や車などによるものであること、津波は海がある方からだけではなくいろいろな方向からやってくること、津波は何度もやってくることを知りました。今までは津波というものの恐怖を教えられる機会がそれほどありませんでしたし、津波という多くの人の命を奪ったものから目を背けようとしてきました。震災に対する知識が足りないなと痛感し、まだまだ知らないことが多いのだというショックを感じました。当事者意識をもって、もっと多くの知識を蓄えることが、危機に対する想定の視野拡大につながるのではないでしょうか。
現在、大川小学校は「あの大川小」と呼ばれ、多くの人が手を合わせたり、ボランティアが花を植えたり掃除したりする場所となっています。しかし、あの日までそこは学校でした。多くの命がキラキラと輝き懸命に生きていました。そして、そこにはそんな命を守るべくして存在する大人がいました。
あの日の実態を知れば知るほど、なぜ子どもたちを守れなかったのかと大人達を責めたくなる感情が沸いてきます。しかし、絶対に忘れてはいけないのは、そこにいた大人たち全員が子どもたちを守りたかったということです。それぞれが子どもたちを守りたかったのに、組織として機能しなかったのはなぜか。あらかじめ意思決定のプロセスを決めておくこと、あらゆる危機を想定した訓練の重要性、そして、時間・情報・手段があるだけでは命は守れない、判断力と行動力をもって命は助かるということを学びました。 (福島)

学校のすぐそばにある山に実際登ってみて、なぜ山に登るという判断をしなかったのだろうと、最初は考えてしまった。「子どもを助けたくない先生なんていない」という話を聞いて、メデイア等の一つの視点から得た情報を鵜呑みにしていた自分が情けないと思った。子どもたちを助けたいという気持ちが、山に避難するという判断にならなかったというのが問題であったと知り、学校で行っている避難訓練はやはり想像以上の大きな災害が発生したことを想定して行うことがとても重要であると感じた。
「首都直下地震や南海トラフ地震は起こる。それは変えられないけど、それによって誰かの命が亡くなる未来は変えられる」という言葉が印象的だった。 (山形)

建物は本当に津波が来た瞬間で止まっているようで、子供たちが生活している風景を想像することができるくらいでした。
みんな被災した学校として大川小学校を捉えていると思いますが、他の学校と変わらずに日常生活があったことを私たちは忘れていたのだなと思いました。そして、その学校を「母校だ」と誇りを持って言っている人もいることを忘れていました。
建物を見て、とても痛々しさが伝わってきて、かわいそうだなと思うこともありました。しかし、ネガティブな気持ちだけで終わらせてはいけないと思いました。校歌にあるように、大川小は「未来を拓く」象徴であると捉えて、防災訓練を行ったり、組織の在り方を確認したりと、前に向かっていかなければならないと思いました。
震災が起きたあの日、誰が悪いとか指示が遅いという後悔よりも、救えたかもしれない小さな命を救えなかったことの後悔が大きいと思いました。  (宮城)

津波の大きさがわかる被災地は他にもありますが、この場ではそれと同時に「判断により多くの命が犠牲になった」ということも訪れた人に理解してもらうことが、遺された意味だと思います。 (岩手)

一人の正しい判断よりも、組織の間違った判断の方が影響力があり、それが全体の判断になってしまうものだと感じました。そのため組織がしっかり正しく機能することの大切さがとてもよく分かりました。
私も組織の一部となり動く立場になるので、組織内で任された役割をしっかりと果たし、組織が正しく機能することに貢献したいと思いました。 (宮城)

横に大きく倒れた渡り廊下には、とても衝撃を受けました。ふだん私たちが暮らしている中では考えられない話ばかりで、本当に勉強になりました。壁画に残っている「未来を拓く」という言葉は、「過去から学んだことを、未来へ活かしてほしい」という力強いメッセージのように思いました。
私は、人の痛みや苦しみ、優しさが分かる人になりたいと、この東北訪問を通して感じました。実際に被災地に行き、肌で感じたことを多くの人の心に届くよう、自分から伝えていきたいです。(兵庫)

救えた命である大川小の子ども達の、元気で明るかった姿を決して忘れてはいけないと感じた。(長野)

あの日ここで何が起きていたのかを8年経った今、初めて知りました。話を聞いていて命を救うためには、時間・情報・手段よりも、そのための判断力・決断力の方が必要だということがよく分かりました。
私は将来教師になりたいと思っていて、災害が起こったとき子どもたちがいたら「念のため」を意識して小さな命を救えるようにしたいと思いました。(神奈川)

子どもたちが生きていたこと、そこには笑顔があふれていたこと、私は絶対に忘れてはいけないと思いました。「もしも」のために余裕をもって行動すること、「いつも」を当たり前と考えてはいけないことを学ぶことができました。
後悔しないように日々を生きていきたいと思いました。 (神奈川)

「大川小学校」といったら震災の際に悲劇が起こった場所でかわいそうだ、と思ってしまっていました。
しかし、実際にその場所に立ってお話を聞いて「かわいそう」という言葉だけで済ませたらいけないと痛感しました。東日本大震災ですでに起こってしまったことを悔やむだけではなく、これから、もしあのような災害が起きたときに、自分たちの命をどう守っていくかを考えようと思いました。
そして、現在は震災遺構になっている大川小学校は、あの日までは私たちと同じくらいの年齢の子どもたちが楽しく過ごしていたところだということも忘れないようにしたいと思います。
校歌にもあるように、大川小学校はこれからの人間の未来を拓く大切な場所であると心に刻まれました。 (福岡)

いろんな人の協力があって残された大川小学校であった出来事を、私たちが伝えていかなければならないし、辛い思いをしながらも語り継ぐ活動を行っている人たちがいることも伝えていこうと思いました。 (福岡)

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バスから降りて最初に大川小学校を見たとき、心臓をぎゅっとつかまれたような気がした。
「目を凝らせば子どもたちの姿が見えてくる」「耳をすませば子どもたちの声が聞こえてくる」
その通りだと思った。なぜこの場所で多くの子どもたちの尊い命が犠牲にならなければいけなかったのか。あの時何が起こっていたのか。これから大人になる身として絶対に目をそらしてはいけないことだと思った。学生のうちに大川小に行くことができて本当に良かった。行ったことのない人にはぜひ行ってもらいたい。(福岡)

小学生の子ども二人も参加し、貴重な話を聞かせていただきました。ありがとうございました。
阪神淡路大震災で被災したときはわたしは高校生でした。いま、母となり小学校の教師として働いています。
大切な命を守るために何ができるか、どこにいても離れていても考えていきたいと思います。(兵庫)

被災地を巡ったり話を聞いたりすることが全くの初めてだったので、大川小を見た時半分放心状態でした。テレビやインターネットでなんでも調べられることは便利なことですが、知ったかぶりで本当の理解には届いていなかったと思います。まずは身近な人に私が見聞きしたことを伝えることから始めたいと思います。(東京)

約7年ぶりに来させていただきました。初めて来たのは大学4年生の時で、小学校を見た時、言葉になりませんでした。今日見てからもその時から時が止まっているように感じました。3~6年生校舎の2Fで、風になびいた草が子どもが手を振っているように見え、その瞬間子どもたちの姿が見えたように感じました。
校舎を遺してくれたこと、岩手の元学生としてうれしく感じます。生々しくすばらしいお話ありがとうございました。 (東京)

今回お話を聞いて、単に「被災した場所」で終わるのではなく、ここから何を学んで、今後どう未来につなげ、生かしていくかを考えさせられ、ここは未来を創る場所だと知ってもらいたいと思いました。(埼玉)

ひなんくんれんしていても、本番にやらなきゃということがあらためてわかりました。そして、ひなん場所、ひなんけいろがよくても「行動」が大切なんだと思いました。「防災は地球となかよくすること」が心にのこりました。 (愛知)

学校という組織の中で意思決定が遅れたことは、まさに今の学校教育の隠れた大きな問題だと思いました。学校は児童生徒の命を守ることが大前提のはずなのに、その組織として機能しないことはあってはならないことです。
私は、まだ教育について勉強途中ですが、自分の組織が大切なことを忘れていないか、一番大切なことが中心にあるのか、もう一度考え直したいと思います。(東京)

大川小の前に立ってはじめて「津波はこんなに壊してしまうのか」と思いました。
当時、同じく小学生だった私たちが大学一年の年齢まで成長した今、8年前に止まってしまった命を、数字ではなく実感として感じることができました。
2011年3月11日、14時46分より前、大川小学校にも変わらぬ日常があったことを忘れてはいけないと思いました。震災で多くの命が犠牲になってしまったこと、そのことはもちろん忘れてはいけないですが、大川小学校をかわいそうな場所、悲しい場所としてだけ思い出してはいけないと思います。同じ場所で、かつて楽しく遊んだこと、生きていたことを津波の記憶で覆われてしまうことこそ、悲しいことなのではないか、と感じました。(埼玉)

「救えた命」という言葉が胸に突き刺さりました。大川小学校の校歌の題名は「未来を拓く」です。子どもたちの未来を拓くために、私たち教育者が「判断力」「決断力」「防災の徹底」に取り組むことを改めて強く決意しました。(大阪)

亡くなったお子さんや先生方がどんな思いをしたのか私には想像できないし、できたとしてもそれを分かった気になってはいけないと思います。でも、あの日あったことを忘れないこと、少しでも正しく伝えることのお手伝いならできるのではないかと、勝手ながら思いました。私にできることや変えられることは少ないけれど、今回直接現場に行き、お話を聞いたからこそ分かったことを、まずは周りに伝えることができたらと思います。 (愛媛)

お話を聞いて、多くのことを感じましたし、分かることが出来ました。それでも、まだ足りないと思いました。もっと考えていかねばならない。多くの命がなくなったことを忘れてはならず、その命に意味を与えることが出来るのは私たちであろうし、意味づけたいと思いました。
学校のシステムの問題や報道の問題、心の復興など多くの問題がまだまだあるけれど、また考えることに行き詰まったら、大川小学校を訪れようと思います。 (愛媛)

いちばんすごいと思ったのは、大川小学校をのこすと決めたことです。現地の人たちは悩んだと思いますが、のこすと決めたことがすごいと思います。ぼくもこれからがんばりたいです。(栃木)

語り部の皆さんは、悲しくつらい過去を封じ込めるのではなく、未来を拓くため、同じことを繰り返すことのないように、経験したことのない私たちにたいせつなことを伝えてくれているんだと感じることができました。(東京)

現地で話をお聞きした息子が「子供達の命を守れる教師になる」という目標に向かって頑張っています。これからも私たちに命の大切さについてお話を聞かせていただきたいと思います。(熊本)

話を聞いて「今までとは違う」と思いました。今まで聞いたお話は、地震・津波の恐ろしさを教えてもらって「怖いんだ」という感情が生まれました。でも「怖いんだ」で終わっていて他人事のように考えていたと思います。今日はこれから自分がしなければいけないことがはっきり分かってよかったです。(高知)

「あの時、子どもたちを救えた可能性が一番高かったのは教員だ」という言葉は、教師を志している私にとって、とても印象に残りました。
私たちが生きている今は、あの日亡くなった方々が生きたかった未来だということを忘れず、私なりに震災を語り継ぎ、今回学んだことをもっと深めるためにも、再度被災地を訪れるつもりでいます。(長野)

実際に校舎や近くの山を見て、自分の認識の甘さと、日常のちょっとした判断・選択が生死を決めるかもしれないことを知りました。(東京)

何もない場所にポツンと残る校舎。
「ここは、大川の街の中心部だったんです。今は何もないけれど、ここにも、あそこにも、全て家があったんです。」人々の日常、子供達の未来が奪われるまで。
「一番恐ろしいのは津波ではない。逃げなかったこと。」
校庭のすぐ裏の裏山。そう聞くと、とても急なそびえ立つ山に感じられる。
いざ、登ってみると、実際に校庭の端から津波が到達したという裏山の地点まで歩いても数十メートル。走れば数秒。なだらかな道だ。
なぜ逃げなかったのか。なぜだろう。心からそう思った。
事実を語り継ぐこと。その語りから感じたこと、学んだことを自らの生活につなげること。
救えたはずの命、救いたかった命。
小さな子どもたちが命をかけて、私たちに教えてくれている。
絶対に繰り返したくない。明日は我が身。強くそう思った。(福島)

テレビでいつも見てたけど、実際に行って、当時の1~6年生、先生がここで命を落としたと改めて知ると遺族の皆さんが訴えている理由が少しわかった気がしました。
「もし、その場にとどまらず、高台に避難すれば助かったかもしれない」「もし生きていたら、そのうち私たちと会ってたかもしれない」といろいろな感情が出てきて、今回のバスツアーは「行ってよかったな」って思いました。その人たちの分まで生きていこうという自信がつき、本当に行ってよかったです。(宮城)

僕は当たり前の一日が、当たり前ではないことに気づきました。明日が今日より少しでもいい日になるように思いながら頑張っていきます。(熊本)

現実を受け止め、今後どのようにしていくかなど前向きに頑張っている、その姿に私はすごく感動しました。亡くなった人のためにも今を大切に生きようと、今までにないくらい強く思えました。貴重なお話、本当にありがとうございました。(宮城)



大切なことをたくさん学ばせていただきました。今後生きる上で自分と自分の大切な人を守るために、ずっと心に留めておきたいと思います。(東京)

子を持つ親として、何で?何で?と思う気持ちは、本当に募るばかりです。子どもにとっても何か感じて考えるいい機会になったと思います。防災についてなあなあにしか考えていませんでしたが、真剣に家族で話し合ってみたいと思います。(岐阜)

「小さな生命の意味を考える会」「大川伝承の会」のスタンスにひどく感動しました。ここで起こったこと、その後の行政の在り方など、外の人間では想像し難い体験をされているにもかかわらず一緒に共有していこうという心構えがすごくありがたかったです。様々な論点がある中で、教育に関わろうとする者として、子どもたちの生命を守る立場になるということを改めて認識させていただきました。(三重)

大川小学校のことはテレビでしか知りませんでしたが、今回実際に訪れ、話を聴き、胸にこみ上げてくるものがありました。救えた命があったこと、それなのに救えなかったこと、しっかりと心に焼き付け、このようなことを起こさせないために、伝えていきたいと思います。(静岡)

何度来ても新しい発見があり(今回は初めて実際にどんなに寒かったのかよくわかりました)、勉強になります。私も「伝える」ことについて引き続き考えていきます。(宮城)

つらい経験を他の人にさせないために活動しているという話、未来を見すえたお話を聞かせていただき、大変心打たれました。私は実家が宮崎で南海トラフ地震が起こるといわれています。他人事じゃないんだなと思いました。(東京)

貴重なお話を伺う事が出来ました。ご自身の辛い体験から真に迫る震災当日の出来事をありありとお話し頂き、心に響きました。 緊急の際の行動では、マニュアル等に縛られる事なく、現場(指揮官)の適切な判断が優先されるべきと痛感させられました。記憶の継承もとても大切な事ですので、後世に語り継ぐ活動を、是非直接の体験者として続けて頂ければと思います。遠方より応援させて頂きたいと思います。(熊本)

山がすぐ側にあって、現にそこに逃げた6年生もいたこと。やる瀬ない気持ちと切ない気持ちで聞きました。経験のないことを想像するのには限界があるのだと改めて思いました。知らなかったこと、辛すぎる思い、色々感じました。現地で感じることが大切だと思います。(長野)

当時の真実を知れてビックリするのと同時に、助かった命があったこと。悔しくて仕方ありません。子どもたちこわかったね。やすらかに天国であそんでいてね。(千葉)

たぶん行政主導では伝えていただけないであろう話を聞くことができたと感じた。民間の伝承の重要性を感じることがで きた。(岩手)



ご自身のお辛い体験を子どもたち、またその親達にお話しいただきありがとうございました。だれも経験のないことの中、どのように命を守っていくべきか、常に自分自身で考え、時には他人をも動かさなければならない判断と行動、そして備えの大切さを感じました。(東京)

魂のお話でした。もっともっと話し続けてください。お空に逝ってしまった子どもたちの分まで、語れなくなってしまった子どもたちの分まで語り続けてください。(福島)

2回目の参加です。初めて大川小学校の校歌を聞き、子どもたちのことがより身近に感じられました。前回もでしたが、今日も快晴で子どもたちが見守ってくれているのかなと思いました。(宮城)

「水俣、福島、福知山線事故、七十七銀行など」と共通の問題として考えつづけていきたい部分と「大川小学校→石巻市→宮城県→国」の中で何でこんなこと起こったのだ、と、個別の問題として理解しがたい怒りと疑問を感じる部分があります。「恕すと許すのちがい」ものすごく大事な話と思いました。(熊本)

今まで、TVや写真などで大川小で何があったかを学んで勝手に知ったような気になっていたけど、今日実際に見学し、お話をうかがって、あの日あの時何が起こったのか、その事実が前よりも重く、本当にあった事実としてようやく分かったような気がした。子どもたちがどんな気持で逃げて、親たちがどん気持ちで子どもたちの遺体を発見したのか考えると本当に心が痛んだ。(東京)

大川小のことをはじめ、3.11 自体の風化が著しい。これをどう食い止め、記憶と教訓を全国全世界と次代に伝えていくか。カギの一つはネットワークの構築だと思う。そのために何が必要なのだろうか?(東京)

“子どもの命が何よりも重い”というとても分かり易い理(ことわり)が、より多くの関係者に共有されることを望みます。(宮城)

震災の辛さに蓋をして5年が経ち、思いを言葉にすることはありませんでしたが、このままではいけないなと思いました。人の命を預かる仕事をしている以上、これからも間違いのない判断と、危機管理に努めて教育に携わっていきたいと思っています。(宮城)

貴重な勉強の場をありがとうございます。まだ経験の浅い記者ですが、このような場を重ねて少しでも有用な報道につなげたいと存じます。(宮城)

職業ぬきに子どもをもつ親の視点でみると、行政の対応に疑問を抱かざるを得ない。大事な考える場であると思うし、大切な会だと思う。仕事上で見ると、厳しい目線で政治に向き合う報道姿勢を改めて考えさせられた。(東京)

とても丁寧に説明していただき、この悲劇の背景にあった自然を甘くみていたり命を守ることをきちんと考えられていなかったことに気づかされました。
自然の中に生きる私達は、便利なことにまぎれて、大切なことを忘れがちだったことに気づきました。(京都)

3回目ですが、このような会で検証を続けていること、様々な複雑な思いの中で、真実を伝承していくことの大切さ、大きなうねりにしていきたいですね。当事者でない私たちだからこそできることがあると思います。(山梨)

そこに子どもたちがいたことも、そこに大津波がおしよせたことも、正直、想像できない未知の世界があった。ただしっかりとその事実は残っていて、あれが起こる前は普通の日常があったと思うとぞっとする。震災前の学校を語り続けることは、子どもたちがそこに生き続けることにつながると思った。(東京)

当事者の方々のお話を聞くことができ、大変参考になりました。被災者でなく、被災地の現在の住民でもない、遠い距離の場所に住む者がどうアプローチすればいいのか、疑問が残りました。「県外の一般市民」ができることはないのか(忘れないということだけでなく)。今後ともお話を伺う機会があれば幸いです。(山梨)


事前に大川小のことは学習していたのですが、実際目にしてみると、やはり違うものがありました。「過去の事実」として知っておくのではなく、ここから何を学ぶのか、自分たちには何ができるのか、何をすべきなのかを、しっかり考えて行かなければならないと思いました。(東京)

大川小についての話は、あらかじめ聞いていましたがいざ目の前にすると、はるかに想像を超えた被害で、言葉を失いました。このことを後世に伝えていくことが、せめてできることだと考えました。(東京)

毎年、この時期に来させていただいています。保育士をしているので、想定外の震災が起きた場合、子どもたちの命を守るためにできることは…と毎回考えさせられます。普段からの備えや災害に対する意識、知識を高めていく大切さを学ばせていただいています。(埼玉)

初めて津波の被害を受けた場所に来ました。一度も見たことがないのに、子どもたちがグラウンドで遊んだり、野球の練習をしたりする姿が想像でき、すごく切ない気持ちになりました。僕のいとこたちもまだ小さく、彼らが同じ被害を被ったと想像すると涙が出ました。経験したことがない僕らにも伝える必要がある内容でした。(宮城)

海から4km 近くも離れていたのに。時間もあったのに。“ここに登っていれば助かった”のに。私は涙が止まりませんでした。「子どもたちが生きたかった明日を生きている」大川小学校で聞いたこの言葉は真っ直ぐ私の心に響きました。(兵庫)

2回目ですが、前回は見ただけだったので、今回お話をきいて、当時の様子や津波の被害を受ける前の大川小学校の様子をしっかり聞けてよかったです。私は、教育学部です。先生になるかどうかはまだ決めていませんし、もしかしたら教育行政の道に進むかもしれません。どちらにせよ、大川小での出来事はしっかり考えていかなきゃ、と思います。津波以外の災害にも必要なことが学べるのではと思いました。また来たいです。(宮城)

大川小学校についてとても関心を持っていました。実際に見てお話をお聞きすることができてよかったです。イメージと異なることがたくさんありました。災害時の意思決定、災害に備えて本当に命を守れる対策をする必要があると心から思いました。(宮城)

お話にとても心を動かされました。私は弁護士を目指していますが、今回の訴訟のお話を聞き、純粋に真実を知りたいと思っている一般市民の味方となれる弁護士になりたいと思いました。(宮城)

何度目かの大川小訪問でしたが、こんなに詳しくガイドしていただいたのは初めてです。新聞記事もバインダーにファイルして、孫の代まで記録を伝えたいと思っています。(宮城)

広島は水害が多い場所です。防災のあり方をいつも考えさせられます。(広島)

テレビでの情報でしか知らなかった事。実際経験された方の話。違いました。すごく心に刺さりました。子どもたちにもよく分かりやすい説明で、本当にありがとうございました。(岐阜)

同じ子どもを持つ母として、今日聞いたお話がとても心に残りました。大川小のみなさんが精一杯がんばって日々過ごされた事、みなさんのことは忘れません。(岐阜)

見るたびにあの日の悲しみや悔しさを思い出してしまうであろう大川小学校の校舎をあの形のまま残してくださっている町の方にはすごく感謝しています。確かにあの校舎を遺すのには勇気がいるし、とても辛いことかもしれないけれど、私はあの校舎で笑いあって毎日を過ごした子どもたちの為にも残してほしいと思います。(兵庫)



サークル活動としてボランティアをしている現在、県外から移住して来た私は、復興の進んだこの土地で自分のできることを見失いかけていましたが、本日の話を拝聴し、現在でも当時の記憶や伝わらない真実に苦しんでいる人がいることがわかり、胸を締め付けられる思いをした一方で、自分自身にもなすべきことがまだあるのだと実感しました。これからは、地元の方々の話に耳を傾け、真実を知り、これからの災害対策で守れる命をひとつでも増やせるよう、亡くなった方々の「魂を無駄にしない活動」をして参りたいと思います。とても勉強になりました。(宮城)

何回も訪れているのですが、毎回違ったお話、違った発見があって、すごく勉強になります。愛知は、大きな地震が来ると言われているので、この学びを地元に還元したいです。(愛知)

一年前、高校の教育旅行で、お話を伺い、強く印象に残ったため、大学生となった今、また伺わせていただきました。将来教育行政に関わりたいと志しているものとして、この問題はしっかり考えていきたいと思います。(福島)

大川小のことを全国の人に知ってもらいたいと今日の話を聞いて思いました。ぼくもいつかふっこうを手伝いたい。また大川小のお友だちに会いに来ます。宮沢けんじと待っていてね。(宮城)

今回初めての大川小学校の見学をさせていただきました。お話をお聴きしたり校舎の周りを歩いていると、当時の様子が浮かんできて自然と涙があふれてきました。救えた命、救うべき命、救いたかった命、私たちはこの悔しい記憶を決して忘れてはいけないと思いました。(宮城)

私は神戸で災害団体に所属しているのですが、神戸で1995 年に起こった阪神大震災が、若い世代には関心が低くなっていることを強く感じています。今日この場に来てお話をお聞きできたことを大切に地元にて自分ができること、子どもの命を守るためにできること、考えなければならないことにちゃんと向き合おうと強く思いました。(兵庫)

今回はじめて大川小を訪れ、山を実際に見ることができて、やはり「ここに避難していれば」と思いました。多くの人が「我がこと」として捉えられるように、津波について、平時のコミュニケーションの大切さについて考えること。教育現場でも、このことを隠さず、見つめ、検証していくべきだと強く感じます。(宮城)

卒業生のお話を聞いて大川小学校の被害を教訓として残していくべきだと再認識した。大川小学校の跡地が「防災のランドマーク」として未来につながっていくことを切に願う。(東京)

全国の子どもたちの減災学習の場として、この場所がが一日も早く生まれ変わって欲しいと強く強く強く希望しております。(宮城)

多様な声、それぞれの立場を伝えきれないと力不足を実感する。何を取材し、何を伝えるべきかを考える機会として、今後も問題意識を共有したい。(宮城)

生の声がとても心に刺さりました。色々なメディアで伝えられるニュースや事実を見聞きしているのとではやはり響き方が、納得度が違うなと実感しました。地元の方々の心苦の上の今のたくましさを応援しています!(東京)


大川周辺の方々、ご遺族の方々とディスカッションさせていただいて、津波が来る前の大川のことを、ちゃんと知っておくのが、避難の仕方ひとつとっても、適切だったかどうか判断するのに重要だと改めて感じた。そういう、ある程度、事実に近づいた地元の認識をあいまいにする役割しか果たせなかった専門家の責任は重いと思った。(宮城)

初めて裏山とかを見せてもらえて、教室のサッシがゆがんでたり、ボロボロになっているのを目にした時から涙が止まりませんでした。子どもたちの魂の平安を心より祈っています。(宮城)

継続的な語り部活動に頭が下がります。校舎を囲むロープ周辺にも資料を設置していただくと遠方からフリーで来た方にはより知っていただけると思いました。
今日は、何人もの語り部の方がそれぞれにお話されるので、興味深く、又、子どもたちの学校での楽しそうな様子がわかり、声が聞こえるようでした。(宮城)

大川小に関して、色々な番組や記事を目にしますが、当時の様子や状況を語れるご本人のみなさまの直接の話を聞きたいと思って本日は参加しました。石巻に住んでいる以上、やはり人に聞かれるので、私も今日の話をメディア等のフィルターなしでお話しできるように努めます。 (宮城)

報道などではなかなか聞けない話で、大変勉強になりました。ご家族を亡くした方の気持ちを少しは分かったように思いました。特に、単に悲しんでいるわけでない点が。(宮城)

「未来に向けて今後どうするのか」というテーマも取り上げてほしいと思います。コンクリート建物の耐用年数は 50 ~ 100 年です。広島のようにシンボルにしていくには国の予算が必要になります。私個人としては、200 ~ 300 年後の為に「どう伝えていくのか?」を考えていきたいです。いつか校舎も生き残った人々も無くなります。しかし 200 ~ 300 年後の未来にも伝えていかねばならないと思っています。(宮城)

もし、自分に子どもができたとき、3.11 の話をしたいと思いました。多くの人にもっと知ってもらいたいです。(北海道)

卒業生の学生さんのお話を直接うかがえたのが貴重でした。また、上のたたきもはじめて登り、印象に残りました。模型もすごく分かりやすく、住んでいた方の思いも伝わります。(宮城)

自然災害というもの、自然に対する人間の在り方、子どもを預かる立場の責任の重さ、色々ともっとしっかり自分も認識したいと思わされる。亡くなった人(子どもたち)のことを思うと、涙が出ます。(東京)

真実を求める事も大切だが、なぜ真実が明らかにされなかったのかを検証する必要があると感じました。人により意見に差があるのはあたりまえだとは思う。(宮城)

「50 分間なぜ校庭にいたのか」の事実をはっきりさせないといけないと思っています。「助けられた子どもたちの命をなぜ?」をこの勉強会で話し合っていけたらいいなあと思います。今後の学校防災や教育のあり方には大川小の件が、事実がはっきりしないと進めないと思います。今後も続けてください。(宮城)

報道する側の取材力、継続力がとても大事になる。一方で、報道を見ていない人も少なくない。受け取る側の意識の問題というのもある。きっかけは何であれまず現地に足を運んでもらえるようになれば、とも思う。(宮城)

同じことを繰り返さないためにも、きちんとうやむやにせず、事実を振り返ることは大切なことだと思います。学校のあり方にも問題を感じます。声を出していきたいと思います。(宮城)

私たちのように遠くに住んでいる人やこれから生まれてくる人々は、なぜ大川小を遺すに至ったのかについても考える必要はあるし、知っておかなければならないと感じました。(愛媛)



どんな大人に育てていくか、教師がもっと考えていくべきだと実感。一人一人が責任をもって自分の命を全うすることの大切さを感じました。 今後とも一緒に考えさせていただきたいと思います。(千葉)

実際に訪ねてみて、震災のすごさ、被災者の皆様の悲しみ、犠牲になった子どもたちの無念の重さを肌に感じました。教育に携わってきた者として「判断と行動」の大切さを新たにしました。(東京)

現地の見学から座談会まで、大変お世話になりありがとうございます。ご遺族の想いに沿った遺構保存と伝承のために、第三者にできることは何か、深く考えさせられました。個人的には、当事者のみなさまと行政をつなぐ、コーディネーションや語りのプロトコルを分析すること、子ども、教員支援などは中長期的にできそうな感じがいたしました。今後ともよろしくお願いします。(大阪)

もう一度子どもたち・若者が住みよい大川地区に戻れたらと思います。どうか皆さまのお力で知恵を貸してほしいと切に願っています。(宮城)

複雑な問題で、部外者の自分はどう関わっていいか分からないが、子どもの生命を守る社会にするにはどうしたらいいのか、この会に関わる中で考えていきたい。(宮城)

災害時の冷静・的確な判断の難しさを感じました。命を預かる立場の人は、この大変な人災を教訓にして研修をしてほしい。(東京)

自分の地域も土砂崩れなどもある可能性があります。今後皆さんの辛い思い、子どもたちの死を無駄にしないために、しっかりと防災に取り組みたいと思います。(静岡)

大川小学校のことは今まで全然知りませんでした。震災についてのニュースをあまり詳しく見たことがなかったからです。自分のことを愚かだと思いました。自分の国で起こったことなのに全然知ろうともせず、本当に愚かだったと思います。今回たくさんの人から 3.11 について教えていただきました。このことを私は家族に伝えました。そうすることで、この機会に教えていただいたことを忘れないようにするためです。(兵庫)

非常に心に迫りました。震災は神奈川で経験したので、大川小学校のことも、ただ単に教師の避難行動がうまくいかなかった学校という認識でしたが、今回の話で考えが変わりました。防災への意識を改めようと思います。貴重な経験でした。(宮城)

「大じょうぶは二種類ある。災害が来ないから大じょうぶと、災害が来ても大じょうぶ」という言葉が心にとてものこりました。ぼくはちゃんとそなえて「災害が来ても大じょうぶ」の人になりたいです。そして、そのことをみんなにつたえていきたいです。(熊本)

救える命を救えなかったこと、亡くなった子どもたちはもちろんだが、先生方の後悔もあるのだろう。
(東京)

小学生の子どもが2人います。今日聞いて感じたことを親として伝えていきます。(岡山)

言葉にならない、との言葉が全てを伝えてくれました。避難についての何故?が尽きません。少しでも前に進むことを願います。(東京)

お話を聞く事ができて、小学校という安全な場所で子どもたちが亡くるような事があってはならないのだとめて強く思いました。うちの子も当時小学6年と高校3年で、千葉ではありましたが、地震にこわい思いをしたと、今でも言います。私の自宅は東京湾内ではありますが、川に近く、今日の事を教訓に災害がおきたら的確に行動できる様にしたいと思います。(千葉)


学校管理のもとで小さな子どもたちが亡くなったということ。このことは、皆に知ってもらい、いろいろな問題を話し合わないとダメですね。もう二度とこういうことがない様にすることが、私の思いです。(東京)

3回目の訪問でしたが、2度とも個人で伺っただけでしたので、廻りの住居、町が、家があったことを知らず、今の説明を受けて初めて生活の様子、当日の状況をはっきりイメージすることができました。助けられなかった多くの命の尊さを思うと、残念で仕方ありません。命の大切さをしっかり知り、またサバイバル危機管理能力教育の大切さを改めて想いました。孫たちに、友人たちに、今日知ったことを語りたいと思いました。(宮城)

私は長年全国の数カ所の施設で管理者をしてきました。危機管理については人一倍気をつかってきたつもりですが、東日本大震災に直面し、今日のお話も他人事とは思えませんでした。今後も仕事の上で他者に自分の判断を伝えたり、場合によっては今すぐ一緒に行動したり、ということがあると思いますし、そうではなくても緊急時に自信をもって行動し、まわりの他の方にも行動を促せる自分になりたいと思っています。 生きていく上で色々な後悔はありますが、他者の生命にかかわる後悔というのは自分もしたくないし、他の人にもしてほしくないです。(宮城)

今回はじめて現地を訪問し、たくさんの学びをいただきました。大川伝承の会のみなさまのこの活動のおかげで、静岡の人間も何が起こったのかを知ることができました。今後の災害で命を守るために今日の経験を全ていかします。ぜひ今後も続けていただきたいです。次回は私の小学校4年の子どもも連れてきます。(静岡)

直接この場所に来て、お話が聞けて本当によかったです。新聞やニュースで聞いた内容と実際に来て見て、その違いがよくわかりました。これからの自分たちの生き方も大いに考えさせられました。(宮城)

私は今まで、そういう空気があったせいか、あまり東日本大震災のことを話しませんでした。でも、災害は伝えなければただの悲しい出来事で、伝えることで初めて役に立つことを知りました。亡くなった人の命を無駄にしないためにも伝えていこうと思いました。
(宮城)

5度目の訪問ですが、自分の想像と実際のお話を聞くのとではまったく異なる理解となります。教員として根本的に考えさせられる思いでした。 (福島)

本日は現場のご案内や座談会(昼食時の間のお話も)ありがとうございました。会の皆さんの丁寧でやさしく真摯なご対応に感謝します。自分自身、子どもと直接かかわる立場(仕事)で、もし自分なら、と考えたり「組織」の中の自分のあり方など様々なことを考えたりしました。(福島)

私たちマスコミは3月にしか大々的には来県せず、申し訳ない気持ちでいっぱいです。同じようなことが二度と起きないよう、少しでも紙面を通じて伝えていくことができたらとのみひしひしと感じます。
(滋賀)

弱い者の立場に立って最悪の事態を見越して行動しなければならないと再認識します。他人事とは思えない、いつまでも忘れてはならない出来事だと思いました。(福島)

想像以上の津波だと言いながら、どうして山に逃げなかったのかと本当に残念です。今まで TV や写真だけで知っていましたが、実際にこの地に来てお話を聞くことが出来、今後絶対にこのようなことがないよう祈るばかりです。(岐阜)

二度目ですが、毎回ちがう点で感じ入ります。大切な記憶、出来事として伝え続けないとなりません。もっともっと周知につとめていきたいものです。(宮城)

6年生が一度裏山へ逃げたのに、戻されたという話は衝撃でした。津波に流された当時5年生の彼の話はとても貴重だと思いました。裏山に登ってみた時、たったこれだけのことがなぜチームとしてできなかったのか? 本当に残念です。自分も発信していきたい。(宮城)


若者が参加を始めたことは、心強い限りです。ジオラマも、理解を大きく助けるものと感じました。終了後に参加者同士で話合いができる場をあらかじめ用意することが必要と思いました。(東京)

大学時代に地震や津波、防災について研究しておりました。防災の観点から見て大川小学校の位置は津波が到達すると推測十分であると思いました。そのマニュアル作りの際に「本当に命が守れるのか?」という視点ではなく「言われたから作る」という学校の体質を感じました。(東京)

「しかたがない」自分もよく使う言葉です。しかし空気を読み、周囲に合わせていたら、非常時に子どもたちのことを守れない。「守る」ということの意味を突き付けられれました。自分も幼稚園の子どもたちを守れるように「しかたがない」という言葉は二度と使わないようにしよう。そう思いました。(福島)

若い方のお話を伺えたこと、希望が感じられました。(宮城)

日本社会の病理の根深さが阻んで真実が明らかにならないと感じます。日本社会を構成している 全ての人びと(大人も子どもも)が、他人ごとではなく、自分ごととして大川小の問題と向き合わなくてはならないのだと思う。そうでないと、また新たな悲劇が繰り返され続ける。(宮城)

今後親になる人たちが、何かあったときは自分の身を自分で守れるよう(先生の言う事をきかなくてもいいから裏の山に逃げなさい等と)言いきかせる等、学校であれ組織を 100% 信用しない、ある意味「意地悪さ」のようなものがあってもよいかなと思った。(滋賀)

2度目の勉強会の参加でした。いつも詳細な解説と明快な語り口で、問題がわかりやすく理解できます。今後も参加可能な限り、関心をもってまいります。(福島)

この事件を矮小化してはいけないとつくづく思います。全ての親が「敗北」と捉え、生命主義に立った価値観の構築が望まれます。(福島)

語り部さんからお話を聞かせてもらうのは初めてでした。震災を覚えている人たちが生きている間は、あの時の事を忘れることはないと思います。だけど 50年後、100 年後にまで伝えていく事がすごく大切で、とても意味のある事なんだと強く思いました。また、日本でも世界でも自然災害が至るところであるけれど、自分や身の回りで起こってみないと現実味がなかったり、時間が経つと薄れてしまう気持ちだったり、そういう気持ちになりがちですが、自然災害の恐ろしさや心得を再確認するためにも定期的に語り部ガイドに参加しようと思いました。(神奈川)

自分の住んでいる静岡県も地震が起きると言われていて、地震が来たら津波や噴火も起きると言われています。今回のお話を聞き、判断と行動が何よりも大切なことだと感じました。辛い中だと思うけれど、ご遺族の方や被災した方から実際に話を聞き、現場を見ることで、ニュースや新聞だけでは知ることの出来ない大切なことが分かり、貴重な時間となりました。復興に向けて自分もできることはしていきたいです。頑張りましょう!(静岡)

勉強になりました。特に学校組織の決定がどういう経緯で1分前の避難になったのか、そこが今後どう解明されるのか裁判も含めて注目しています。(宮城)



遺族はそれぞれ様々な想いを抱えているということを改めて教えていただきました。「改めて」という言葉を使ったのは、私が知らず知らずのうちに遺族に対する勝手なイメージを作っていたのかもしれないと感じたからです。印象的であった言葉の一つに「報道は小さい窓」という言葉があります。報道の裏側、その奥には見えていないものがあるのだということを、今回、現場に立ち、様々な方とお会いして実感しました。(愛媛)

今回の震災で問われている「組織としての防災」は、専門家でしか答えられないような内容ではなく、防災のルールを徹底しましょう、ルールを知り、まずは教える立場の先生が最前列で行動できるようにしましょう、そういった「当たり前にできるはずの教育体制」だと思いました。(愛媛)

私は、生きている今を精一杯頑張ろうと思いました。そして、防災は本当に大切だと思ったし、大川小学校の話は心に深く刻まれました。大人になっても今日思ったことを忘れたくないです。(石川)

私自身、優柔不断であることが悩みだったのですが、それは物事に対して真剣に考えていないからだと分かりました。だから、これからは友達の判断なども視野に入れつつ、物事の本質をとらえて良かったと思えるような判断を続けて行きたいです。(東京)

何があって、何がなくて、何ができていて、何ができていなかったのか、全てありのままに伝えることの大切さを教えていただきました。(宮城)

話が分かりやすく、実態がよく理解できた。今からスタートというようなことを仰っていましたが、本当にその通りだと思いました。自分のできることをしていきたいです。(宮城)

今、自分は何をすべきか、何を伝えていくべきかを考えた。忘れることなく、後世に伝えること、そして、いつ起きるか分からない大震災に備えること。それが被災することの無かった僕達が今すべきことなのではないかと思う。後世に伝える為にはどうすればいいか。震災から5年たった。ただの出来事としてしかとらえていない人、ましてや体験していない幼い子もいる。大切なのは事実を分かりやすく伝え、これからはどうすべきかを考え、活かす。これが大事だと思う。たくさんの人が生きたくても生きられなかったこの時間を無駄にすることなく生活していきたい。(東京)

「津波は…」「地震は…」ということだけではなく、「これからどういうことをすればよいのか」を教えていただいたと思います。僕は熊本地震のときに「ここは揺れなくてよかった」などと他人事でした。話を聞いて、自分が恥ずかしくなりました。僕は「自分のできることは全力でやろう」という目標を立てました。(栃木)

正解のない問いや課題に対して、考えを持ち、判断し行動できる自分でありたいし、そういう力を持った生徒を育てたい、力をつけてやりたいと思った。(島根)

学校に通ってくる一つ一つの「命」の重みを感じさせられました。「もしも」のときに、その命たちを全力で守るという使命感を強く持ち、子どもたちと楽しい笑顔あふれる一日一日を大切に過ごしていきたいと思いました。(福岡)

「道は続いている」という言葉が心に響きました。地震や津波などがあっても、自分の生きている意味が分からなくても、辛いことがあって進みたくないときがあっても、今は見えていなくても、必ず道は続いているのかなと思いました。(三重)

たくさんのことを知り、生きていることの大切さを改めて感じることができました。私がふだん当たり前に感じている物や人も、いつ消えてしまうか分かりません。私はお話を聞いた後、あいさつをよくするようになりました。「おはよう」「いってきます」私は生きてるよ!と思いながら言っています。私は一つしかない輝く命を守るために、今日も明るく生きています。そして自分の心に「守る」というギアをつけていきたいと思います。(宮城)

震災当時、愛知県の小学6年生でした。卒業式の練習中に教室が揺れ、校庭に避難。そこからの記憶はほぼありません。テレビで津波で流されていく様子を見たのが次の記憶です。私は災害で身内を亡くす経験をしていませんが、この校舎が残っていることで、少しその気持に寄りそえた気がしました。(愛知)

共感し、哀れまれることが目的ではなく、教訓として活かしてほしいからと仰っていたのが印象的でした。(東京)

震災を経験したから変わるのじゃなくて、しなくても変われるようにという話を聞いて、私は「変わりたいな」と思った。自分が今できることを精一杯することが防災へつながるのではないかと思う。(群馬)

10 年ほど前、縁あって長面と釜谷に来たことがあり、地域の人たちと話をしたり、子どもたちが元気に遊んでいてしっかり挨拶もあり、とても懐かしく思い出しました。話を聞いて、子どもたちが勉強している様子や、校庭で遊んでいる様子が見えるような気がしました。これからも忘れないでいきたいと思います。(宮城)

自分(卒業生)にとっては遺構ではあるが母校だ、というお言葉が印象的でした。私も命の意味を考え続け、そして人を救える人間になります。(宮城)

テレビ番組ではドラマチックに報道しています。当たり前だと思っていることが、本当は有り難い(有ることが難い)ということはわかっているつもりですが、腹底では分かっていないどこまでも自分中心の私だと思うばかりです。(熊本)

「いつか」やるとか「誰かが」やるだろうとか、その「いつか」や「誰か」は、いつ無くなるか分からないなと改めて思った。今まで自分も使っていたけど、その「いつか」や「誰か」はすごく無責任だったなと、本当に強く思った。だから「いつか」とか「誰か」ではなくて、受け止めて、向き合って「自分」から行動出来たらいいなと思った。(東京)

当時、高校2年生でした。あの時の怖さ、ショックを思い出しました。幸いにも私は今、宮城のためにいろいろできるところで働けているため、今日の大川小のこと、当時の想いを大切にしながら、仕事をしていこうと思います。子どもたちや先生方が、私たちを「見てください」と招いてくれたのかもしれないと感じました。(宮城)

大川小学校は未来を拓(ひら)く場所です。「未来を拓く」という言葉は大川小の校歌に、また野外ステージの壁にも刻んである言葉です。私にとってこの場所は未来を拓いてくれた場所です。きっとこれからも誰かの、日本の、未来を拓いていく場所であり続けます。この場所に行けたことに、そしてお話ししてくださったことに感謝です。(山形)