お知らせ メディア 伝承・遺構 2019/08/15 | 0 Comment

河北新報に「震災遺構、地元の教育利用進まず」という記事がありました。同日の別面に「遺構維持費に不安」という記事もありました。読んでいて、少し気になりました。

「子どもへの配慮」とは、震災に限らずよく聞かれるフレーズですが、それは事実に蓋をすることではありません。
現実は目をつぶっても、顔を背けても、耳を塞いでも変わりません。起きたことは変えられないし、失われた命は帰ってきません。

そうした事実にどう向き合うかです。

向き合い方にはいろんな角度、タイミングがあります。
みんな一斉に真正面から「せーの!」で向き合うのではありません。
ましてや、津波の被害を受けた地域とそうでない地域は、スタンスが違って当然です。
「震災遺構に行くこと=向き合うこと」は短絡的です。
「震災遺構=津波の恐ろしさ」も短絡的です。
「震災遺構=防災教育の教材」も短絡的です。

この記事は学校教育をステレオタイプにとらえていないかと思うのです。
子どもたち(大人も)が3.11に向き合うためには、学校もですが、メディアもアップデートが必要だと思います。学力向上や、生活指導についてもです。

先日、子どものとき震災を体験し、現在は伝承活動をしている学生たち5名に「語れるようになったのは何年目で、きっかけは何ですか」という質問がありました。
答えは、時期もきっかけも5人見事にバラバラでした。
「『語らない』という向き合い方もある」という答えもありました。
同じだったら変ですよね。

だから、一緒にやる必要はまったくないのです。

大川小を訪れる人は増えています。
この方々は交通の便の悪いこの場所に、何を求めて足を運ぶのでしょうか。
「ようやく来れました」「前は職場の研修で来て、今回は親子で来ました」
という声が増えています。県内外ともにです。
学校単位で来るケースも増えています。一度来た学校は翌年も来ます。

「子どもに見せたい場所」であることはたしかです。

訪れる人に、校舎(遺構)が語りかけるものがあるのです。
他の遺構についてもそうです。
役割や価値について安易に限定せず、まず目を凝らし、耳を傾け、対話を深めることです。
時間もプロセスもまだまだ必要だと思います。

夏休みは連日朝から夕方まで車が絶えません。

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