検証委員会等 2014/02/09 | 0 Comment

ラジオは緊迫した口調で、さかんに避難を呼びかけていました。

指揮台の上にラジオがあり、聞いていたという証言が複数あります。
子どもたちが津波がくる心配を口にしています。「山さ逃げよう」と進言する子どももいました。
ところが最終報告書では「職員室のラジオは落下して使えない状態」「ラジオを聞いていないという証言もある」などと「ラジオを聞いていた」ことを断定せず「聞いていた可能性は否定できない」という表現になっています。

中間とりまとめでは「備品台帳に『ラジオ』という記載はない」と報告しました。
(もともと、ラジオやラジカセは台帳に記載しません)

ラジオを聞いていたのは確実。
ラジオは避難するに値する情報を伝えていたかどうかを分析すべきなのに、なぜかラジオを聞いていたかどうかを曖昧にしています。

子ども達は校庭で津波の心配をさかんに口にしています。
「子どもさえ危機感を抱かせる情報が入っていた」のです。
ラジオ・防災無線いずれかによるものとしても、児童が大津波警報を知っていて、
山への避難も進言しています。
迎えに来た保護者もラジオの情報を伝えています。

校庭にいるすべての人は「大津波警報」を知っていた。
それに対する対応をしなかったのはなぜか。知りたいのはその先なのです。
検証委員会ではその先の議論がされていません。

ラジオを聞いていたかどうか
「山さ逃げよう」という子どもがいたかどうか
津波の到達がいつだったか

2年以上前に明らかになっているこれらのことを
わざわざ曖昧なものにしています。だから議論ができないのです。

津波の到達時間についても
15時35分に家を出て助かった人がいて
15時37分に時計が止まっている

子どもにだって分かることです。それをわざわざ曖昧にしています。

ラジオを聞いていて、「山へ」という先生、保護者、子どもの進言があったにもかかわらず、避難が出来なかったのはなぜなのかを考察すべきです。そのために集められた専門の先生方のはずです。

議論できないのでしょうか、それともあえて、議論をしないのでしょうか。