お知らせ 伝承・遺構 2016/02/13 | 0 Comment

2月13日、震災遺構に関する市の公聴会が行われ、保存、解体、それぞれの立場からの12名の発表がありました。5年を経て、ようやく意見を述べあう機会が設けられたとも言えます。
どの意見も説得力があり、改めてこの問題の難しさ、そして大切さが分かったように思います。

高校生、大学生が勇気をもって発言しました。故郷の未来を担おうという想いの若い世代が上げ始めた声に、大人はもっと耳を傾けるべきでしょう。

只野哲也君のビデオメッセージ
20160214河北新報 悲しみの母校と向き合う

そして、まだまだ表に出せないでいる声なき声をいかに大切にするかが問われていると思います。今日も、住所を移した人にアンケートが配られなかった問題点が指摘されました。

私はそうしたことをふまえ、次のように「保存すべき」という意見を述べさせていただきました。

震災からまもなく5年、大川小学校の校舎については様々な声があります。子供たちが楽しく学び遊んだ場所として残したい、防災意識を高めるために残したい、見るのがつらいから壊したい、金がかかるから壊したい…、いずれの意見も間違いではないと思います。
私は、どんな話も耳を傾けようと心がけていますが、想いにそんなに違いはないと考えています。

間違いではない二つの答えがあって、でも答えは一つという事案なのです。

ですから、保存するにしても解体するにしても、対立の構図を作るのではなく、多くの人が少しでも納得する進め方をしてほしいと願っています。
報道の方も保存派、解体派と安易に報じないでほしいと思っています。
少なくとも私はどうすることがいいのだろうかと迷っています。きっと多くの方も同じだと思います。

先日のアンケートに、解体するメリットとして「辛い思い出から解放される」という項目がありましたが、悲しみは解体すれば消えるものではありません。保存するデメリットとして「辛い思い出とともに生活すること」とありましたが、この悲しみ、辛さはあの子たちの存在そのものです。私の中に娘がいる証だと思っています。安易にメリット、デメリットとすべきではありません。

私たちの幸福は、過去の人々の悲しみや苦労の上にあります。時間はかかるかもしれませんが、悲しみとしっかり向き合うことが、真の復興への道だと私は考えています。
 
大川小学校の校舎については、これまで、何のために遺すのかという「意義」について公の場での深い議論が不十分だったように感じています。
遺構としての意義を考える上で最も大切なことは「未来のために有益なのか」です。
 
未来のためにならないのであれば、お金をかけてまで保存する必要はありませんし、未来の人にとって価値があるのであれば、遺す方向で努力すべきです。その部分を省略してこの事案を進めることは出来ないと思います。

他の遺構の場合は、以前有識者の皆さんが遺構としての意義についての会議を開きましたが、そのとき大川小学校についての議論はありませんでした。まず、市として専門家の見解を正式に聞くことが先ではないでしょうか。
ただ、大学の先生方、あるいは復興や伝承に熱心に取り組んでいる方の話を聞く機会が何度かありましたが、やはり議論する段階に踏み込めない、あるいはパブリックな場では発言しにくいと話されます。

こんなに多くの児童と教師が亡くなる事故は初めてのことです。前例がないのですから、何かと注目され、批判を受けることも当然です。慎重になるのは仕方のないことかもしれません。
専門家さえ論ずることのできない問題を、早急に結論づけることは適切ではないと思います。壊すのは簡単です。当面は保存しつつ、未来を見据えた検討を進めていくべきです。

そうしたことをふまえた上で、私は校舎を遺すべきと考えます。あの日まで、楽しく学び遊んだ子ども達がここにいたことを、それを失った深い悲しみとともに伝えていくべきです。そして、時間をかけ、迷いながら検討した経緯のことも含めて遺すべきです。建物を遺すことで、想いも伝わります。
30年後、50年後の人は考えるはずです。昔の人はどんな想いでこの校舎を遺してくれたのだろうと…。けっしていい加減な形で決めたのではない、もし解体することになったとしても、めんどうだから壊してしまえ、となったわけではないということ、地元の人も、遠くの人も、子どもも、大人も、市教委も、市長さんもみんな苦しみ、悩んできたことをしっかりと未来の人達に伝えていくべきです。

もちろん、津波のメカニズムや威力を伝える上で貴重であることは言うまでもありません。海から4km近くの距離がありながら、体育館さえも破壊してしまう河川津波の威力をあれほど伝える建造物は他にありません。

大川小学校の校歌のタイトルは「未来を拓く」といいます。ここは悲しいことがあった場所ですが、何かが始まる場所であってほしいと思っています。先日も、ベガルタの選手の皆さんが校舎を訪れ、新しいシーズンへ向けての決意を新たにしたという報道がありました。

失われた命は戻ってきません。だから、せめてこの場所を未来への学びの場所にしてもらう。全国の子どもにとって命の教材となることも願っています。

私たちにできるのはそれぐらいしかないと思っています。そのためにも多くの教育関係者にあの地に立ってほしいと思います。

先日、河北総合センター(ビックバン)で行われた大川ふるさと祭りに参加しました。大川小の子達もソーランを元気いっぱいに踊ってくれました。それを見守る大川の人達の様子…、日本一のソーランだと思いました。私たちのふるさと大川はほんとうにいい所だと改めて感じました。
私は大川に生まれ育ったことを誇りに思ってずっと生きてきました。これからもそうありたいです。

校舎に入ると廊下にはコート掛けのフックがあり、その上には名前のシールがまだきれいに貼ってあります。ここにはもうコートを掛けることはありませんが、きっと役割はあるはずです。
これからも多くの皆さんと大切にしていきたいと思います。

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2016年2月12日のNHKニュースより
2016年2月13日東北放送ニュースより
20160214河北新報