1 子どもを救う方法は十分あった。
2 地震発生後,校庭に避難し点呼。津波が来るまで校庭待機。
3 移動時間は約1分。わざわざ民家裏の細道を通り,津波が来るのに川に向かっている。
4 避難可能な情報は十分あった。
考察1 当日の避難行動について
■ 移動開始は津波到達の1分前。
■ 狭く,行き止まりのルートを通って,川に向かって移動。
時系列
あの状況においては明かな判断ミスです。何がそのようなミスに結びついたのかが検証のポイントです。このことは,震災間もない時期に既に明らかになっており,平成24年10月28日の市教委との話し合いで,遺族有志が明確に指摘し,資料も提出しています。
考察2 山について
四つん這い、泥だらけになって山を登った小学校もあります。登れるかどうかではなく、「なぜ登らなかったのか」を検証すべきです。山は余震で崩れるかもしれないというのであれば、他の手段を講ずるべきなのですが、その話し合いをした様子はありません。「子どもを預かり守る組織としての意思決定のあり方」が公式には論じられていません。
山について解説1
山について解説2
毎年3月に、シイタケ栽培が行われていた。前年まで3月の恒例行事だった。ここまで登っていれば助かっている。
校庭脇の斜面も低学年の授業で登っている。平成22年6月撮影。
動画1なぜここへ来なかったのか? 毎年3月にシイタケ栽培の体験学習をしていた山。その脇からコンクリートのたたきに出られる。
動画2動画2 竹藪(険しいと言われる箇所)から
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