検証委員会等 2014/01/17 | 0 Comment

14:46 地震発生   15:37 津波到達

1 子どもを救う方法は十分あった。

体育館脇の山は傾斜が緩く,低学年でも登れる。椎茸栽培の体験学習も行われていた。                
5分あれば入釜谷方面への避難も可能。スクールバスもすぐ出られるように待機していた。             
地震から津波到達までは51分。地震による倒木はない。
urayama2
 
2 地震発生後,校庭に避難し点呼。津波が来るまで校庭待機。

校庭ではたき火の準備も始まっており,避難する雰囲気ではなかった。                     
たき火のための缶は少なくとも二つ用意されていた。山や道路の様子を見に行った教員はいない。
早い段階で校庭にとどまる決定をしたことがうかがえる。もしくは話し合いが十分なされなかったのかもしれない。

引き渡しの対応に追われていたわけではない(人数的にも多くない)。

 

3 移動時間は数十秒。わざわざ民家裏の細道を通り,津波が来るのに川に向かっている。

校庭から移動を開始したのは大津波がいよいよ迫って,川からはすでに水があふれていた時である。        
一応上級生が先頭となっているが,整列する余裕などなく,列は乱れており,学年は入り交じっていた。

「三角地帯へ移動」と言ったのは教頭先生で,その教頭先生が,県道を見に行ったら川からあふれる水を見て「もう津波が来ているから,急いで」と戻ってきた。児童の列は自転車小屋の脇から出て,あわてて裏道の方に走り,家の脇を通り,県道に出ようとしたら川から波が来た。先頭にいた児童が引き返し,山に向かった。
児童が追い込まれたのは,最も狭く,山の斜面も急な場所である。
校庭から移動した距離と時間は先頭の子で約180m。複数証言から3時35分にはまだ校庭にいたことが分かっている。
パニック状態だった。

 

4 避難可能な情報は十分あった。

遅くても3時前後には,ここまで津波がくるだろうという情報があった。津波が来たことのない地区で,大丈夫という意見もたしかにあったが,早い段階で裏山への避難を進言した子ども,教員,地区の人,迎えに来た保護者がいる。指揮台の上にあったラジオも盛んに大津波警報発令,高台への避難を連呼していた。

市広報車は3時25分に高台避難を呼びかけ釜谷を通過している。