事後対応について 検証委員会等 2013/12/22 | 0 Comment

■検証委員会の迷走

あり得ないことが目の前で起きている。こんなことがあっていいのか…。
平成25年11月3日、第6回大川小事故検証委員会、有識者による公開ヒヤリングが行われていました。

大川小事故検証委員会がスタートしたのは、事故から2年近く経つ平成25年2月のことです。※1

2年間、市教委の調査や報道、様々な人の証言により、多くのことが明らかになっていて、遺族自らも膨大な情報、資料を手にしていました。検証すべき論点もある程度整理されています。それにも関わらず「ゼロベースから」「公正中立の立場で」という検証が始まりました。
この二つのスタンスは検証委員会を迷走させる原因にもなりました。

地震発生は午後2時46分。津波到達時間は時計の止まった3時37分。地震から津波が来るまでは51分。子ども達が逃げた時間は1分ほどです。「50分間、なぜ校庭にとどまっていたのか」という核心部分の議論がないまま、7月に中間とりまとめが発表されました。

この中間とりまとめには、50分間に関する言及はありませんでした。議論をしていないのですから当然です。そればかりか、驚くべきことに、もっとも確実な事実の一つである津波の到達時間がそれまでより数分前とされました。大川小よりはるか上流の水位計のデータを使うという素人目にも無謀な方法で算出したものです。校内で止まっていた時計は大川小のものかどうか分からないとコメント。グラフも読み違えていて、遺族の指摘で気づくという有様でした。

ゼロベースから始めて、徐々に核心に迫っていくとは言うものの、調査委員による報告は周辺情報の域を出ないものばかり。10月になって「大川小にはCDラジカセが少なくとも1台はあったと思われる」という報告があったときなどは、唖然としました。核心に近づくどころか議論らしい議論はないまま、検証委員会は進んでいきました。
地区民や以前大川小に勤務した教職員のアンケート調査も実施されましたが、ごく表面的な内容で、今ひとつ意味が分かりません。

10月に出されたとりまとめにも、50分間の謎に迫る記載はありませんでした。そればかりか、地区民の危機意識のなさや、学校の立地条件などが強調され、子どもが山へ逃げたがっていた証言や、授業で山に登っていた写真などは示されていませんでした。間違いが指摘された津波到達時間は、いつのまにか曖昧になっています。私たちは検証委員会が立ちあがってから、様々な情報を提供しましたが、ほとんど反映されていませんでした。

■胸騒ぎ~このままでいいのか

11月3日の有識者ヒヤリングは、そのとりまとめをもとに行われたのです。
どんな優秀な研究家であっても、あのとりまとめから大川小学校事故に関する真の考察は不可能です。案の定、どの方も一般的なコメントを述べるにとどまっていましたし、情報不足、根拠不十分を指摘した方もいました。

あってはならなかった事故なのに、仕方がなかった要因が強調され、核心に迫らないままのとりまとめを示し、有識者にもお墨付きをもらい、その方向で最終報告をもまとめてしまおうとしています。被災地の予算を5700万円※2もつぎ込んで。

その日も傍聴席には多くの人がいました。いや、全国の人が少なからず関心をもって見守っています。その前で平然と、そのシナリオが進行していきました。あの場にいたほとんどの人は「これはおかしい」と思っていたはずです。おそらく文科省や県教委の方も、検証委員の皆さん自身もそう思ったはずです。

目の前で、爆弾が運ばれていき、発射台に設置されようとしている。それを誰も何も言わずにいていいのだろうか。
これではまるで、津波が迫っているのに「ここにいてはダメだ」と誰も言えなかった、あの日の校庭と同じじゃないか、そう思った瞬間から、言いようのない胸騒ぎが止まりませんでした。

11月12日、検証委員会の聞き取り調査協力のため、宮城県庁に行きました。証言などの情報のすり合わせをしたいということでした。自分たちの持っている情報が、役に立つのであればと考え、協力することにしたのです。

ところが、聞き取りが始まって唖然としました。そこで示されたのは1年以上前に私たちが出した、3.11当日の時系列の表※3だったからです。検証委員会の資料は何もありません。なぜ、1年以上も前の資料を今検討するのでしょうか。中間とりまとめの前、少なくとも有識者にとりまとめを示す前にやるべきことではないでしょうか。

時期的に見て、最終報告の方向性がすでに決まっていて、そのために都合よく私たちの情報を利用しようとしたに過ぎません。「遺族の話もきちんと聞きました」と付け加えるためです。真実を明らかにする気があるとは思えず、失礼とは思いましたが、途中で退席させていただきました。※4
その他の聞き取りについても、質問の仕方や、証言の取り上げ方には明らかに偏りが見られます。

■声をあげるのは誰でもいい

12日のことがきっかけで、11月20日、26日に室崎委員長と話す機会がありました。
そこで分かったことは、室崎委員長自身が、現在の検証の進め方に疑問を感じているということです。また、これまで私たちが提供してきた情報や想いが、委員長に全部伝わっているわけではないことも明らかになりました。事務局で情報を取捨選択して伝えているということです。

このままでは大津波に襲われるのが分かっているのに、誰も声を出さなかったあの日の校庭と同じなのです。誰でもいいから大声で「ここにいてはだめだ」と叫ぶべきだと思いました。
11月28日の夜にそう考え、29日に「小さな命の意味を考える会」の名前で、質問状※5を送りました。第7回検証委員会の前日でした。

※1 検証委員会の立ち上げ
平成24年6月、市が大川小事故検証委員会の立ち上げを議会に提出。それまで何度か遺族説明会を開き、3月にこれからも話し合いを続けていく方向が決まったにもかかわらず、遺族も市教委も一切関わらない第三者による検証委員会の立ち上げが突然示された。予算は2,000万円。今後も遺族との話し合いを続ける等の付帯決議がつけられ事実上凍結。
9月以降文科省の主導で検討され、2月に立ち上がった。

※2 5,700万円
当初2,000万円だった予算が、25年8月の補正予算で十分な審議のないまま3,700万円上乗せされた。

※3 当日の時系列表
平成24年10月28日に開かれた市教委と遺族の話し合いの場で、遺族有志がこれまで考察してきたものをまとめ発表した。検証委員会にもその資料はすぐに提出し、説明もしてきた。

※4 聞き取りでの途中退席
平成25年11月12日仙台で行われた聞き取り調査の後、検証委員会の室崎委員長に送ったメール内容は次の通り。

私一人の意見云々では、全体を大きく変えることにはなかなか繋がりません。
大川小の事故については、様々な事情をもつ遺族54家族が対象であるという規模が大きな特徴です。すべての家庭が、あのような形で子どもを失った悲しみを抱え、それが曖昧なまま、おざなりにされ、多くの遺族は、心を閉ざしています。10日(検証委員会の遺族対象の説明会)の意見にもありましたが、検証委員会からの議事録も開封さえしない人がほとんどです。その人たちこそ大事にされるべきです。

私などは多くの情報を教えてもらい、いろんな形で意見を言える状況にありますが、私でさえ、いくら情報や写真を提供しても、とりまとめに反映してもらえない状況に、心が折れそうだと、10日に訴えたはずです。

11月3日の有識者のヒヤリングは、どこをどう見ても、役に立ったとは思えません。あのような骨抜きのとりまとめをもとにすれば、一般的なコメントしか出せないのは明白です。大川小の事故にまったくふれない方もいらっしゃいました。

それなのに12日私たちに対して行った聞き取りは、1年以上も前に私たちが示した時系列の確認作業ではありませんか!
なぜ、中間取りまとめの前に、遅くても10月のとりまとめの前に行えなかったのか。しかも、何ヶ月も前に首藤所長に話したことばかり、それでも聞かれたことを一生懸命話していたら、検証委員の情報は出せませんといい出す始末。どこが情報の突き合わせなのでしょう。録音をするなというからどんなコアな話し合いができるのかと思えば、肝心な部分は答えない。

なぜあんなルートをとって三角地帯をめざしたのかということに関して「自然なルートだという証言がある」と言っていました。誰が言ったかは言えないと言われましたが、言語道断です。
どういう人が、どういう質問に対して答えた証言なのかが分からないとこの手の話し合いは成り立たないはずです。たとえばあそこで書道を習っていたうちの娘に「ここを通って県道に出れる?」とか「通ったことある?」と聞けば、むしろ喜んで「はい」と答えるでしょう。近所の人もそうです。
でも、80数名を津波から避難させるルートとしては明らかに不自然です。検証委員会では被災前の現場に来た人がいないのですから、分かるわけがない。私たちの支援をして下さっている人の中には、写真からCGアニメを製作し、その場所の様子を再現した方がいますが、ボランティアで作ってくださったそのCGの方がよほど検証に使えます。
それから、先日のメールにも書きましたが、「校長先生の報告がホントに側聞によるものかどうかは重要ではない」「A先生に聞き取りしても仕方がないのでは」といった趣旨の発言は有り得ません。
事実を究明する気がないとしか受け取れません。
A先生が事実をつかんでいることは明らかです。2年8ヶ月経っているし、状況的に正しい証言が得られないかもしれない、でもやるしかないのです。被災地予算5700万円を投入した検証委員会のメンツにかけて、正しい証言を聞き出さなければなりません。同時に、2年8ヶ月、A先生のことに対して手を打たず、事実を隠し続けてきた市教委の不正を暴くべきです。精神医学的に見ても、間違ったやり方だと思います。
今回の検証作業の本丸とも言える部分を、投げだそうとしている姿勢に対して、さすがの私も耐えられませんでした。大人げない行動とは思いましたが退席させていただきました。他の二人も同じだと思います。

検証委員会の中では、絶対に言わないでいようと思っていましたが、こんな私でも、やはりかわいい子を突然失った親です。「遺族に寄り添う」姿勢は検証委員会に欠けていると言わざるを得ません。「寄り添う」という言葉が一人歩きしています。これではただの枕詞に過ぎません。

室崎先生をはじめ検証委員の皆さんと私たちは同じ船に乗り組んだクルーです。
私たち遺族はもちろん、市の教育委員会の先生方も、文科省も、報道の皆さんや真剣に考えてくださっている一般の方々もそうです。
検証委員会はその大きな推進力として、この船に組み込まれた重要なパーツであるはずです。

そして、亡くなった子どもや先生も一緒に乗っています。

向かう先の岸にはきっと大切なことがあるのですが、岸にたどりつく前に、沈めてしまおうという大きな力が働いています。市教委はほぼその中に飲み込まれてしまった感があります。文科省も元の岸に戻ろうと舵を切ったかもしれません。
厳しい航海です。もしかすると検証委員会の先生方は、たいへんな船に乗り込んじゃったと後で気づいて、表面だけの仕事でさっさと船を降りてしまおうと考えているのかもしれません。最初の頃と比べて発言のトーンがどんどん下がってきたのは明らかです。

このままでいいのでしょうか。

室崎先生は、不正を嫌い、しっかりとした見識をもった方と聞いています。ですから、今の事態を実はきちんと把握しているのだろうと思います。私の想いもきっと受けとめて下さると信じ、このような失礼なメールを書いています。どうかよろしくお願いします。
またメールさせていただきます。

※5 公開質問状
これまでの検証のあり方についての疑問点をまとめ11月29日に提出したもの。次の5点についての提案し、回答を求めた。
(1)「学校管理下」と「地域の意識」の関連性の視点の誤りを正し、当日の避難行動を中心とした事故そのものの調査を行い、学校管理下という責任の所在を前提にした議論を行う。
(2)事実情報については根拠を明らかにする。これまでの報告で事実と違う点を認め、明確に訂正する。特に災害のメカニズムに関する詳細調査は正式に取り下げる。
(3)検証委員会や聞き取りで、心ない発言をする委員の取り扱いについて、遺族と協議する。
(4)コーディネーターを設置し、遺族が参画する体制にする。
直ちに改善できない場合は
(5)今すぐ、検証作業を一旦停止して、遺族も交え検証の方向性を話し合う。